東良美季さんの「猫の神様」
2007年 03月 24日
身体がだるく、何もする気がしないのを口実に、amazonから届いたばかりの東良美季著「猫の神様」(新潮社)を一気に読む。捨て猫の「ぎじゅ太」と「みャ太」との出会いから別れまでが描かれている。ネットで発表された文章をベースに、2匹の猫ちゃんとの交流を中心に再構築されたものだ。
私は猫にも犬にも興味のない人間である。嫌いというのではなく、生まれつき、ご縁がないとしか言いようがない。20歳くらいまでは家にも犬がいたが、女所帯のわが家では、ペットというより番犬の意味合いが大きかった。最後に飼った雑種のメリーは10年ほど一緒に暮らしていたから、亡くなったときはさすがに悲しかったが、散歩に連れて行ったり、頭をそっとなでたりするくらいで、抱っこするなんてことはとても出来なかった。今もペットをほしいという気は全く起こらない。
そんな私がこの本を手にしたのは、東良さんの文章の行間に流れる静けさに惹かれているからだ。猫好きの読者にとっては共感で涙されることも多いだろうが、私のような者にも、淡々と綴られる文章のなかに、身近な生あるものへの想いが伝わってくる。こちらが世話をしているようで、その実、その対象に生かされているという不思議。
新潮社の新刊案内には「孤独なライターとその小さな家族の物語」と書かれている。出版社による惹句であるが、はたして東良さんは孤独だろうか。「毎日jogjob日誌by 東良美季」に垣間見える日常に私は羨望を抱いているのだが。