映画『殺人者の記憶法』ナムギルファンとしての感想
2018年 02月 06日
本日、京都のシネコンで鑑賞。キャパ50名くらいのシアターに10数名。半分以上が男性。韓国映画ファン、ソル・ギョングファンが多いのかもしれない。キム・ナムギルを知ってもらう絶好の機会。
前回書いた感想に記憶違いがあったことに、その直後の鑑賞で気がついた。ビョンスが正気に戻る表情を自然と感じたシーンは、中華を食べていたときではなく、冒頭の警察署にウニが父を迎えに来たときだった。私自身が感じたことを書いただけなので訂正するほどのこともないが、映画を3回観た後の感想だっただけに、いかに自分の記憶がいい加減なものか、キム・ビョンスの「記憶を信じるな(내 기억을 믿지 마)」というエンディングの言葉が胸に刺さる。
キム・ナムギル演じるミン・テジュという男。母親を信じられなくなった契機が殺人の遠因になっているようだが、言うことが割とまともなのだ。「生きる価値のないやつを殺している、つまり、掃除しているのだ」と正義をちらつかせるビョンスに「それを決めているのはおまえだろう。殺したくて殺すおれとどこが違う」とまさに正論を言ってのける。
ビョンスが殺した父親は、殺されても同情を呼ばないような男だったが、ビョンスがその後に続けた殺人は、まさしく、父殺しという罪を正当化するためだったように思えてくる。彼の姉は若くして自殺している。彼女も父からの暴力にさらされていたにもかかわらず、平和な家庭が戻ったというビョンスの日記とは裏腹に、弟が父を殺したという事実に堪えられず、死という選択をしたのかも知れないのだ。
ビョンスとテジュの山荘でのシーンは、テジュが玄関から勢いよく入ってくる瞬間から、ますます眼を離せなくなる。突如として正気を失ったビョンスの手からスカーフを奪い、背後から痩せ細ったビョンスの首を絞めるテジュに怖いほどの迫力を感じた。
「ジジイ、漏らしたな(字幕)」というテジュの台詞は、ナムギルファンには衝撃かも知れない。テジュは「ジジイ」ではなく、「치매(認知症)」がもらしたと言っているように聞こえるが、正確な韓国語はどうなんだろう。格闘しながらも、テジュはビョンスを「너(おまえ)」と呼びつづけ、年長者として接してはいないから、「ジジイ」という字幕はまさに適訳だろう。
もうひとつ、気になったのが「生きるのは地獄だ。殺人者の娘として生きるよりは、そこから逃れられるのは幸いなことだ」とウニへ放つテジュ。彼もずっと地獄のなかを生きてきたのだろうか。自分を解き放つことができたのは「女は誰も同じだ(여자들은 다 똑같아)」と愛憎の対象である母と同じ性を持つ女性を殺す瞬間だけだったのかも知れない。しかし、その罰を受ける覚悟はできていると思えるのがビョンスへの最期の言葉だった。
「おまえも罰を受けるはずだ(너도 벌 받을 거야 )」
しかし、死はテジュにとっては罰ではなく、地獄の人生から抜け出せる唯一の道だったようにも思える。ビョンスは今も彷徨っている。
減量と運動で役作りをされたソル・ギョングさん。食べるシーンがなんと多いことか。カメラの前で一口二口食べては口から吐き出すという繰り返しは、それこそが地獄だったかも知れない。
『殺人者の記憶法:新しい記憶』は、2月10日(土)からシネマート心斎橋・新宿にて公開。
写真は、2月4日、シネマート心斎橋にて撮影。
コメントをありがとうございます。お住まいの方は大雪になっているようですが、大丈夫ですか。映画とファンミを前に転んだりしないよう、どうか、お気をつけくださいね。
「ジジイ」というのは字幕ですので、ナムギルさんがその言葉を発しているのではないですけど、どうしても、テジュでなく、キム・ナムギルとして見ていたりするのかも知れないです。
考えてみれば、ピダムなんて、何人殺しているのかわからないくらいですけど、時代劇はファンタジーのような要素があるし、彼を殺人鬼とは呼びませんから、テジュは、やはり、衝撃的なキャラクターです。でも、ツイートではないけど、狂気を帯びた姿はイケメンだから見られるんですね。
そして姉の存在がビョンスの作り出したものだとしたらビョンスは記憶を守りたかったのか、忘れてしまいたかったのかどちらなのでしょう。全く異なるテーマですが어느날同様、「記憶」という存在について考えさせられる映画です。
いよいよ明日は新しい記憶の上映開始ですね、本編とどのように描かれ方が異なっているのか楽しみです。
コメントをありがとうございます。いえいえ、しょっちゅう早とちりで失敗をやらかしていますので、的確と言えますかどうか(汗)。
『新しい記憶』を観てからでないと何とも言えませんが、本編のほかに、監督版として公開したくらいですから、ウォン・シニョン監督も正解というものは出せなかったのかなと思われてきます。おっしゃるとおり、まずは、観てのお楽しみと言うことにしましょうか。