映画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』雑感③(ネタバレあり)
2017年 08月 28日
今月は、ワンデイを観るかたわら、シネマート心斎橋で同時期に上映されていた「ハートアンド ハーツ コリアン・フィルムウィーク」の中から、『あの人に逢えるまで』、『春の夢』、『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』の三本と『LUCK-KEY/ラッキー』を観る機会を得ました。単純に楽しめる映画はユ・ヘジンさんがとてもオトコマエな作品『LUCK-KEY/ラッキー』でしたが、前者三本は、普段観ているドラマとは異なる韓国を感じる映画だったと思います。
そして、久しぶりにワンデイです。このところ、『名不虚伝』のホ・イムにかなり心を持って行かれているので、ほんとにご無沙汰してしまいました。
何回も観たからよくわかるという訳ではないですが、観るたびに自分なりの発見があるのは新鮮です。ただ、私の場合、ファン目線というのか、ガンスの心に寄り添いながら観ているような面があるので、偏った見方になっているかも知れません。
喪主でありながら葬儀に現われなかったガンスを職場に訪ねた義弟ヨンウは、顔を見るなり、怒りに任せて罵倒します。
「姉貴がさっさと死ねばいいと思ってたんじゃないのか」
闘病に苦しむソンファからもガンスは心に突き刺さるような言葉を投げかけられていました。
「わたしが早く死ねばいいと思ってるんでしょう。あなたの顔に書いてあるわ」
一番身近な存在である夫のガンスにつらくあたるのは、病気が言わせる言葉でもあり、甘えと申し訳なさの入り混じった複雑な感情の発露のような気がします。
そんな状況のなかで、ガンスがこの辺で終わりにしたらどうだろうと一瞬でも思ったとしても、誰も責められないでしょう。しかし、そう思った直後のソンファの死に彼が打ちのめされたのは当然かも知れません。
妻がいつも座っていた食卓に火をつけた煙草を一本置き、何とも言えない自嘲的な笑みを浮かべたガンス。彼は葬儀でソンファに別れを告げるよりも、ひとりで妻と向き合い、いつも二人で共有していた時間を取り戻したかったのではないかと感じさせられたシーンです。
長期の闘病で直面するのが、もうひとつ、経済的な問題です。ミソの交通事故をさっさと示談に持ち込まないガンスに上司のチーム長は言います。
「いつまでも課長のままでいいのか。奥さんの病気で財産を使い果たしたんだろ」
また、ミソの相続を含めた代理人の立場を断ったミソ母に較べると、ミソ妹(義妹でしょうか?)は、今後の介護期間を考え、はるかに現実的に割り切った考え方を示しています。
病気に付随してくる側面を、立場の違い、年代の違いなどから、うまく台詞に反映されていると感じます。
もう一か所、今までずっと見逃していたのですが、エンディングで、病院の出口あたりに立ち止まったガンスは日の暮れた空を見上げます。このとき、彼の眼は、いつもそうしていたように、ミソを探していたのですね。ああ、彼女は、もう、いないんだと我に返ったように、口の端に微かな笑みをもらしたガンス。あらためて、心に残ったシーンでした。
心斎橋での上映は、9月8日が最終日。午前中の上映は、宵っ張りの私にはきついのですが、ぜひ、大阪での最終は見届けたいです。そして、次は京都。ナムギルさんだけでなく、ファンもまだまだ忙しい日が続きます。
オーエンエンターテインメントさんのインスタグラムからお借りした写真です。現在、ドラマ『学校2017』に出演中のキム・ジョンヒョンさんですが、ワンデイでは、保険会社でガンスの後輩、チャ代理として出演しています。
ワンデイ雑感③をあげてくださって、ありがとうございます。
この映画はファンタジーで、現実にはあり得ない設定なのに、私にはとても身近で現実的に感じられたのは、おまさぼうさんが書いていらっしゃるように、現実的な部分をひっそりと丁寧に描いているからだと納得しました。
最後の空を見上げるシーンは、私、見落としています(*_*; 次に観るときに、気を付けて見たいと思います。
最近は年齢を重ねたせいか、簡単な話では泣かなくなっているのですが、この映画では、観るたびに涙が溢れてくる箇所があります。ミソが長年の思いを抱えて会いに行った母親に拒絶されて呆然と店を出るシーン、ガンスが浜辺で「どうしてお前を忘れられる」と心を吐き出すシーン、このあたりは胸が締め付けられるような「もらい泣き」系の涙ですが、あともう一つ、舞い落ちる花びらを受け止める手のひらに手のひらを重ねて支えてあげるシーン、ここでは自分でもよく分からない感情に胸がいっぱいになって涙が溢れてきてしまいます。人間の温かさとか、優しさみたいなものに心が揺さぶられるのでしょうか。背後に流れる音楽がよかったせいもあるかも知れません。
もう一つ、「ある日」というこの映画のタイトルの意味についても考えていました。おまさぼうさんが前に書いていらっしゃったように、「マイエンジェル」という撮影時のタイトルは、完成した映画には合わなかったと私も思います。
映画には「그날(あの日)」という台詞が何度も登場します。ミソにとっての「あの日」、ガンスにとっての「あの日」、そしてガンスの前にミソが現れ、消えていった「あの日」、時が流れても消えない、人それぞれの人生での「あの日」が「ある日(어느날)」なのかなぁ…と一人得心して映画館を出たわけであります( ˘•ω•˘ )
長々と書いてしまって、すみません! 前のコメ欄でホタル様が私なぞの感想を求めてくださったので、お応えしたかったのですが、おまさぼうさんと同じく、ナムギルさんの映画はものすごく偏った主観で見ているので、こんなものでお許しくださいませm(__)m
こちらこそ、norikoさんの感想をお聞きできて幸いです。
最後の空を見上げるシーンは、あくまでも、私が感じたことですので、シナリオにどう書かれていたかはわかりませんし、感じ方はそれぞれですのでね。
私の場合、一番最初に動画で観たときは、いろんなシーンで泣いてしまいましたが、最近、劇場でガンスの想いが乗り移ってくるのは、終盤、ソンファの部屋で元気だったころを思い返して微笑を浮かべるガンスからミソの病室で二人の魂が互いの手と手を通して交わるシーンです。このあたりは、理屈でなく、受け止めているような気がします。
「ある日」についての考察、興味深いです。実は、私はまだ、ワンデイがいつの日のことか、よくわからないんですが、次回はその辺を考えながら観ることにします。なんて言いながら、忘れてしまうんですが(苦笑)
「マイエンジェル」という最初のタイトル。今となっては、たしかに、ガンスはミソにとってのエンジェルだったし、逆も言えるはず。監督が「ある日」に変えた意図を探ってみるのも面白いですね。
とんでもないです。こちらこそ、いつもコメントを有難うございます。
ナムギルさんは、最初、シナリオを受け取ったときは、この役はできそうにないと断られたんですよね。2時間という枠のなかで表現するには、たしかに、ひとつひとつのシーンをどういう思いで演じればいいのか、俳優でなくても、その難しさはわかるような気がします。
この映画、ガンスとミソのシーンはどれも好きです。男女という枠を超えた関係は、ミソが霊魂であるからこそ、成立しやすかったと言えると思います。その辺もファンタジーという手法を取った理由かなという気がします。
ホタルさんがお書きになっているように、まさに、互いにとって互いがエンジェルだったということがよくわかります。ただ、ミソの願いを聞き入れ、これから、全くひとりで生きてゆかねばならないガンスは寂しいでしょうね。でも、エンディングの表情が前を向いていたのが救いですし、他の人には見えなかったミソですから、ガンスが求めれば、心の中で対話できればいいなと思います。
ひとつ、ホタル様の感想を読ませていただきながら、初めて意識した自分の個人的な感情があります。それは、ソンファに対する気持ちです。肯定的な感情ではなく、その反対の気持ち。
病気になったのは彼女のせいではないし、病苦のせいで夫に恨み言を言うのも、仕方がないことでしょう。物心ともに夫に負担をかけていることを耐えがたく感じることも、とても理解できます。でも、夫の目の前であんな逝き方をしては、夫の心に刃を立てるようなものでしょう。「少しでもきれいな姿のうちに逝きたかった」という言い訳が非常に利己的に思えて、ソンファには心を寄り添わせることができませんでした。
もしかしたら、ナムギル・ガンスに愛されて大切にされていたソンファにヤキモチ妬いているだけかも知れませんけど(笑)
この映画には、完全な善人も、徹底した悪人もいなくて、お互い仕方なく相手を傷つけながら生きている、そういう痛々しさがファンタジーなのに現実的なストーリーだと感じたもう一つの要素なのかも…などなどと思いました( ˘•ω•˘ )
あと何回か、観る機会を探したいと思います。