映画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』雑感③(ネタバレあり)

今月は、ワンデイを観るかたわら、シネマート心斎橋で同時期に上映されていた「ハートアンド ハーツ コリアン・フィルムウィーク」の中から、『あの人に逢えるまで』、『春の夢』、『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』の三本と『LUCK-KEY/ラッキー』を観る機会を得ました。単純に楽しめる映画はユ・ヘジンさんがとてもオトコマエな作品『LUCK-KEY/ラッキー』でしたが、前者三本は、普段観ているドラマとは異なる韓国を感じる映画だったと思います。


そして、久しぶりにワンデイです。このところ、『名不虚伝』のホ・イムにかなり心を持って行かれているので、ほんとにご無沙汰してしまいました。


何回も観たからよくわかるという訳ではないですが、観るたびに自分なりの発見があるのは新鮮です。ただ、私の場合、ファン目線というのか、ガンスの心に寄り添いながら観ているような面があるので、偏った見方になっているかも知れません。


喪主でありながら葬儀に現われなかったガンスを職場に訪ねた義弟ヨンウは、顔を見るなり、怒りに任せて罵倒します。


「姉貴がさっさと死ねばいいと思ってたんじゃないのか」


闘病に苦しむソンファからもガンスは心に突き刺さるような言葉を投げかけられていました。


「わたしが早く死ねばいいと思ってるんでしょう。あなたの顔に書いてあるわ」


一番身近な存在である夫のガンスにつらくあたるのは、病気が言わせる言葉でもあり、甘えと申し訳なさの入り混じった複雑な感情の発露のような気がします。


そんな状況のなかで、ガンスがこの辺で終わりにしたらどうだろうと一瞬でも思ったとしても、誰も責められないでしょう。しかし、そう思った直後のソンファの死に彼が打ちのめされたのは当然かも知れません。


妻がいつも座っていた食卓に火をつけた煙草を一本置き、何とも言えない自嘲的な笑みを浮かべたガンス。彼は葬儀でソンファに別れを告げるよりも、ひとりで妻と向き合い、いつも二人で共有していた時間を取り戻したかったのではないかと感じさせられたシーンです。


長期の闘病で直面するのが、もうひとつ、経済的な問題です。ミソの交通事故をさっさと示談に持ち込まないガンスに上司のチーム長は言います。


「いつまでも課長のままでいいのか。奥さんの病気で財産を使い果たしたんだろ」


また、ミソの相続を含めた代理人の立場を断ったミソ母に較べると、ミソ妹(義妹でしょうか?)は、今後の介護期間を考え、はるかに現実的に割り切った考え方を示しています。


病気に付随してくる側面を、立場の違い、年代の違いなどから、うまく台詞に反映されていると感じます。ファンタジー映画の体裁はとっていても、現実的な問題が描かれているからこそ、自分自身の体験を省みて、より感じるものがあるように思われます。


もう一か所、今までずっと見逃していたのですが、エンディングで、病院の出口あたりに立ち止まったガンスは日の暮れた空を見上げます。このとき、彼の眼は、いつもそうしていたように、ミソを探していたのですね。ああ、彼女は、もう、いないんだと我に返ったように、口の端に微かな笑みをもらしたガンス。あらためて、心に残ったシーンでした。


映画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』雑感③(ネタバレあり)_f0020564_21580647.jpg
写真はFine Films 『ワン・デイ悲しみが消えるまで』ツイッターから


心斎橋での上映は、9月8日が最終日。午前中の上映は、宵っ張りの私にはきついのですが、ぜひ、大阪での最終は見届けたいです。そして、次は京都。ナムギルさんだけでなく、ファンもまだまだ忙しい日が続きます。


映画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』雑感③(ネタバレあり)_f0020564_21432767.png
週末を背負っているキム・ナムギル俳優が週初を
背負っているキム・ジョンヒョン俳優に送ったコーヒー車の
プレゼント!終盤に入った『学校2017』の現場に大きな力となる
訪れです。

オーエンエンターテインメントさんのインスタグラムからお借りした写真です。現在、ドラマ『学校2017』に出演中のキム・ジョンヒョンさんですが、ワンデイでは、保険会社でガンスの後輩、チャ代理として出演しています。


Commented by noriko at 2017-08-29 15:08 x
おまさぼうさま

ワンデイ雑感③をあげてくださって、ありがとうございます。
この映画はファンタジーで、現実にはあり得ない設定なのに、私にはとても身近で現実的に感じられたのは、おまさぼうさんが書いていらっしゃるように、現実的な部分をひっそりと丁寧に描いているからだと納得しました。
最後の空を見上げるシーンは、私、見落としています(*_*; 次に観るときに、気を付けて見たいと思います。

最近は年齢を重ねたせいか、簡単な話では泣かなくなっているのですが、この映画では、観るたびに涙が溢れてくる箇所があります。ミソが長年の思いを抱えて会いに行った母親に拒絶されて呆然と店を出るシーン、ガンスが浜辺で「どうしてお前を忘れられる」と心を吐き出すシーン、このあたりは胸が締め付けられるような「もらい泣き」系の涙ですが、あともう一つ、舞い落ちる花びらを受け止める手のひらに手のひらを重ねて支えてあげるシーン、ここでは自分でもよく分からない感情に胸がいっぱいになって涙が溢れてきてしまいます。人間の温かさとか、優しさみたいなものに心が揺さぶられるのでしょうか。背後に流れる音楽がよかったせいもあるかも知れません。

もう一つ、「ある日」というこの映画のタイトルの意味についても考えていました。おまさぼうさんが前に書いていらっしゃったように、「マイエンジェル」という撮影時のタイトルは、完成した映画には合わなかったと私も思います。
映画には「그날(あの日)」という台詞が何度も登場します。ミソにとっての「あの日」、ガンスにとっての「あの日」、そしてガンスの前にミソが現れ、消えていった「あの日」、時が流れても消えない、人それぞれの人生での「あの日」が「ある日(어느날)」なのかなぁ…と一人得心して映画館を出たわけであります( ˘•ω•˘ )

長々と書いてしまって、すみません! 前のコメ欄でホタル様が私なぞの感想を求めてくださったので、お応えしたかったのですが、おまさぼうさんと同じく、ナムギルさんの映画はものすごく偏った主観で見ているので、こんなものでお許しくださいませm(__)m
Commented by ホタル at 2017-08-29 18:54 x
こんにちは、暑い中、毎日ブログを上げてくださいましてありがとうございます。嬉しく読ませていただいております。ナムギル氏の努力が実を結び「名不虚伝」が好調で良かったです。惠民署病院のホ・イム先生を見ていると、ナムギル氏が楽しんで演技されている様子が伝わってきて幸せな気持ちになります。脇役は割と自由にできますが主役は思い切り弾けることのできる役はあまりないですものね。もちろん計算した上での演技ですが、、。ただ、今のナムギル氏が充足されていることを喜びつつも、わたしとしてはガンスが頭から離れません。今朝、貴女様の文を読み、涙が止まりませんでした。ソンファは夫を信じつつも、その愛を確かめずにはいられなかったのでしょう。日毎に悪化する病に追い詰められていったソンファの気持ちを思うと堪らなくなります。ワンデイはファンタジーの形をとっているからこそ、人間の哀しみや懊悩が浮き彫りになってくる映画だと思います。誰しも経験することではあっても、受け止め方は人それぞれですし、深く想い合っていればいるほどその時が辛いことと思います。病院の屋上でミソが「人が小石と同じように見える。」と言っていましたが、障がいの有無や置かれている状況に関わらず、皆表面上明るく振舞って普通に過ごしているように見えるけれど、誰もが見えない苦悩や哀しみを背負って生きているのだとガンスに伝えたかったのかと思います。そう自分に言い聞かせ、明るさで鎧ってミソは生きてきたのでしょう。必死に生きてきたミソの人生を考えると運命の非情さに胸が詰まります。彼女の人生が最期に報われたことが僅かな救いです。ガンスを救ってくれて、新たに生を与えてくれたミソ、彼女はガンスを救い、ガンスは彼女の思いを叶えました。二人は互いに不可欠な存在だったのだと改めて感じます。ところで、エンディングのガンスについて教えていただき、ありがとうございました。自分の感情だけで観ていて、そのことに全く気づかなかった自分は何を観ていたのかと情けない思いですが、貴女様の文を読ませていただき、理解して次に観ることができるのは喜ばしいことです。ナムギル氏がインタビューでおっしゃっていたように観る時期や状態によって受け止め方が大きく異なる映画ですね。ナムギル氏が人として持っている苦悩や哀しみ、そしてそれらを包み込む思いやりや優しさが感じられるこの作品と今、出会えて幸せでした。
Commented by omasa-beu at 2017-08-30 00:46
norikoさま

こちらこそ、norikoさんの感想をお聞きできて幸いです。
最後の空を見上げるシーンは、あくまでも、私が感じたことですので、シナリオにどう書かれていたかはわかりませんし、感じ方はそれぞれですのでね。

私の場合、一番最初に動画で観たときは、いろんなシーンで泣いてしまいましたが、最近、劇場でガンスの想いが乗り移ってくるのは、終盤、ソンファの部屋で元気だったころを思い返して微笑を浮かべるガンスからミソの病室で二人の魂が互いの手と手を通して交わるシーンです。このあたりは、理屈でなく、受け止めているような気がします。

「ある日」についての考察、興味深いです。実は、私はまだ、ワンデイがいつの日のことか、よくわからないんですが、次回はその辺を考えながら観ることにします。なんて言いながら、忘れてしまうんですが(苦笑)

「マイエンジェル」という最初のタイトル。今となっては、たしかに、ガンスはミソにとってのエンジェルだったし、逆も言えるはず。監督が「ある日」に変えた意図を探ってみるのも面白いですね。
Commented by omasa-beu at 2017-08-30 01:21
ホタルさま

とんでもないです。こちらこそ、いつもコメントを有難うございます。

ナムギルさんは、最初、シナリオを受け取ったときは、この役はできそうにないと断られたんですよね。2時間という枠のなかで表現するには、たしかに、ひとつひとつのシーンをどういう思いで演じればいいのか、俳優でなくても、その難しさはわかるような気がします。

この映画、ガンスとミソのシーンはどれも好きです。男女という枠を超えた関係は、ミソが霊魂であるからこそ、成立しやすかったと言えると思います。その辺もファンタジーという手法を取った理由かなという気がします。

ホタルさんがお書きになっているように、まさに、互いにとって互いがエンジェルだったということがよくわかります。ただ、ミソの願いを聞き入れ、これから、全くひとりで生きてゆかねばならないガンスは寂しいでしょうね。でも、エンディングの表情が前を向いていたのが救いですし、他の人には見えなかったミソですから、ガンスが求めれば、心の中で対話できればいいなと思います。
Commented by ホタル at 2017-08-30 07:05 x
おはようございます。noriko様、私なぞの願いに応えていただきましてありがとうございます。共感する点が多く、とても嬉しく読ませていただきました。年をとって私は涙もろくなってしまいました。私は皆様以上に偏った捉え方をしていますが、作り手の意図に関わらず、受け手が自分なりに考えて自分だけの作品を心の中で創っていけば良いのではないかと最近開き直っております。ただ、他の方がどう感じられたかは知りたいのです。勝手を言って申し訳ありません。ワンデイはどのシーンも心に残っているのですが桜のシーンもソンファとの思い出がつまっていてどんなにガンスが妻を愛していたかがわかる場面ですよね。水族館のシーンにしてもガンスは微笑を浮かべるミソを通してソンファを想っていたのでしょう。今を生きるために自分の時間を止めてしまったガンス。ミソと出会い、誰もが哀しみを抱いて生きていることに改めて気づき、決断した時、彼の時間が再び動きはじめたのですね。私は韓国語が全くわからないので字幕が頼りなのですが訳の語感が微妙に心にフィットしない部分があります。語学力があればと情けない思いが致します。皆様を見習って勉強して参りたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。では残暑厳しき折、くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。
Commented by noriko at 2017-08-30 13:27 x
おまさぼうさま、ホタル様、ワン・デイに寄せる想い、聞かせていただいて本当に有難かったです。ありがとうございました。

ひとつ、ホタル様の感想を読ませていただきながら、初めて意識した自分の個人的な感情があります。それは、ソンファに対する気持ちです。肯定的な感情ではなく、その反対の気持ち。

病気になったのは彼女のせいではないし、病苦のせいで夫に恨み言を言うのも、仕方がないことでしょう。物心ともに夫に負担をかけていることを耐えがたく感じることも、とても理解できます。でも、夫の目の前であんな逝き方をしては、夫の心に刃を立てるようなものでしょう。「少しでもきれいな姿のうちに逝きたかった」という言い訳が非常に利己的に思えて、ソンファには心を寄り添わせることができませんでした。
もしかしたら、ナムギル・ガンスに愛されて大切にされていたソンファにヤキモチ妬いているだけかも知れませんけど(笑)

この映画には、完全な善人も、徹底した悪人もいなくて、お互い仕方なく相手を傷つけながら生きている、そういう痛々しさがファンタジーなのに現実的なストーリーだと感じたもう一つの要素なのかも…などなどと思いました( ˘•ω•˘ )

あと何回か、観る機会を探したいと思います。


Commented by ホタル at 2017-08-30 20:01 x
noriko様、コメントありがとうございました。私も初めはnoriko様と同じくソンファやミソの行為がガンスに負担を強いていると感じました。しかし、自分に置き換えて考えるうちに感じ方が少しずつ変わってきました。悪化していく病や経済的不安などにソンファ自身かなり悩み苦しんだことでしょうし、一人で逝くことへの恐れや夫の心情への慮りから逡巡したことでしょう。しかし、追い詰められている夫の様子を感じ、もはや躊躇していられないと思ったのかもしれません。そんな彼女がほぼ確実に思いを遂げられそうで、最後の瞬間に迷いが生じても後戻りできない方法があの方法だったのではないでしょうか。夫の負担の少ない方法を選ぶこともできたでしょうが、覚悟していても誰しも死は恐ろしいものですから。本当は、ミソと同じ方法でガンスに看取られながら去りたかったのでしょうが、ガンスにそれを強いることはできないと思ったのではないかと私は考えます。また、ミソの願いに対するガンスについては「これ以上苦しむ前に旅立たせて。」というミソの言葉がソンファに重なって決断したのではないでしょうか。自己中心的な生き方をしてきた私にはそう感じられるのですが、勝手な意見で申し訳ありません。愛する者のために敗れることが明白であっても病と闘い抜くのも、愛するがゆえに去ることを選ぶのも共に「愛」であると思うのです。noriko様の「皆が互いに傷つけ合いながら生きている」という見方はまさにその通りだと思います。この作品は日本的情緒があるのかもしれません。多くの方の目に触れることを祈りつつ、後数回ワンデイに浸りたいと思います。しつこくコメントして申し訳ありません。お許しくださいませ。
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by omasa-beu | 2017-08-28 22:03 | 映画 ワン・デイ 悲しみが消えるまで | Comments(7)

終活しなくちゃと思いながら毎日をだらしなく送っている団塊の世代です。写真は、ドラマ『子連れ狼』(北大路欣也さん版)の大五郎(小林翼さん)。私の癒しです。スカパー「時代劇専門チャンネル」のTV画面から撮影。問題でしたらお知らせください。


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