映画『沈黙-サイレンス-』

20代の頃、「沈黙」の原作者、遠藤周作さんのエッセイ集「狐狸庵シリーズ」の大ファンでした。憂うつな気分を吹き飛ばしてくれるような面白くて楽しい読み物でした。その好きな作家の小説として、「沈黙」や他の作品も読んだ覚えはありますが、詳しい内容はすっかり忘却の彼方に消えてしまっています。ですから、何の前知識もなく観たと言えます。ただ、拷問シーンを観るのがいやで、劇場に足を運ぶのを躊躇する気持ちはありましたが、思っていたよりは眼をそむけることもなく観ることができました。


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キリスト教系の大学に通っていた昔、1年生の時は聖書の授業が必修科目でした。なんでか、単位を落とし、もう一年、やり直しをさせられるという始末。聖書やキリスト教は向いていないのかも知れません(笑)。ただ、1年生前期と4年生後期に必修だった毎日の礼拝は今から思うと清々しい体験だったような記憶があります。いまも、祈るということは日常的にしているように思いますが、その対象は、神様か、仏様か、ご先祖様か、あるいは、自分の内なる何かに語りかけているのか、かなり、いい加減なものですが、眼には見えない何かを信じているのは確かな気がします。


キリスト教が弾圧されていた江戸時代初期、「踏み絵」というもので信心の有無が問われたのは歴史でも習いますが、改めて、スクリーンを通して観ながら、いろんな考えが心の裡を右往左往していました。


神様が存在するとしたら、そんな偶像を踏んだとしても、自分を信じる者たちを許されるはずだし、自分のために過酷な拷問を受けることをよしとはされないだろう、などと、私なら都合よく考えてしまいそうです。あるいは、踏み絵を踏まなかったとしても、拷問に遭うや否や、私など、すぐに「転ぶ(棄教する)」のが眼に見えていますが、実際に踏む踏まないという問題ではなく、自己の中にある信仰や信念が試されているわけですから、その苦しみは想像できるような気がします。まさに、キチジローが、幾たびとなく、踏み絵を踏み、その都度、神父に告解を求める姿は、実は、軽薄ということではなく、信仰を捨てられない人間の生きざまのように感じられました。


信念を曲げるということ。いや、この表現はちょっと大げさすぎますが、意に染まないことを強要されることを、私の人生の中でも、一度だけ、経験したことがあります。母の身体の具合が悪かったことに関連して、自分の信じることではない方向に向かう羽目になったのです。一時は決断したものの、とても我慢がならず、気が狂ったように母を責め、結果、すぐに軌道修正したものの、私の人生の汚点として、この出来事は胸の奥底に今でも残っています。詳しく書くと、追体験をするのが辛いし情けないので省略しますが。


映画の終盤、すでに日本人として生きるロドリゴ神父にまたも告解を得ようとするキチジロー(窪塚洋介さん)。ロドリゴ役のアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)さんは、英語と日本語の両方で語ります。


Thank you for being with me.

一緒にいてくれてありがとう。


思わず涙が溢れたシーンです。神様は、数え切れないくらいに救いを求めた自分には、黙したまま、何もお応えにならなかった。それが、どうみても、信用できる存在ではないキチジローは、いまも、自分を求めている。大げさに言えば、ロドリゴは、キチジローの中に神を見たのかも知れません。


ラストシーンの暗示は、むしろ、わからないままの方がよかったような気がします。


映画の詳細はこちらでどうぞ。


Commented by なな母 at 2017-02-17 21:19 x
こんばんは、おまさぼうさま

ねっ?来ましたぁ?
ホントのホントのホントなの?
いやーーん、うれしいーーーーーー🙌
Commented by omasa-beu at 2017-02-17 21:21
なな母さま、あんにょん!

ほんとみたいですね~~~~~
ギルボッの歌のアンケートはやっぱり伏線だったのかしら。
Commented at 2017-02-17 21:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by omasa-beu at 2017-02-17 22:48
鍵コメさま、こんばんは。

はい、ハングルでのメッセージをありがとうございます。〇〇代最後の年の始まりです。(今さら、〇〇とすることもないのですが、ちょっとした見栄です)毎年、覚えていてくださって嬉しいです。

そんな日にナムギルさんのファンミのお知らせが舞い込んできたのは、ソンムルをもらった気分です。鍵コメさまは、今も、ナムギルさんをお好きでいらっしゃいますか。

変形性膝関節症は、思いのほか、回復までに長くかかっています。いまは、週一度のPTさんによるリハビリに加え、2月からは同じ病院内のジムでの筋トレを始めました。健康運動指導士さんが作ってくださったメニューを真面目にこなしています。週に4,5回は通っていますが、経過はいいような気がします。自宅でも、毎日、運動を続けてきましたが、やはり、ジムでやるのとでは気合いの入り方が違いますね(笑)。私が静岡に住んでいれば、鍵コメさまに指導をお願いしたいくらいです。

進化とは、すごく恥ずかしいです。同じことの繰り言を書いているような昨今、今年の課題のひとつは、一日に一ページでも日本語を読むことなんです。最近は、読書もできなくなっていましたから、思考も文章も退化の一途と自覚していました。懲りずに見守っていただければ幸いです。
Commented by omasa-beu at 2017-02-17 22:56
kurikuriさま、こんばんは。

嬉しいお知らせが飛び込んできましたね。今日の午後は出かけていたので気が付くのが遅れました。あと2か月あまり、しっかりと運動して、両方に参加できるようにしたいです。

トムブラウンとは、服のブランドですか。全然、センスがないので、そちら方面は弱いんです。大阪でお会いできるんでしょうか。楽しみにしています。

ところで、沈黙、ご覧になったんですね。ずっと緊張状態で観ていましたが、途中、どこだったか忘れましたけど、二度ばかり、くすっとしました。
Commented by omasa-beu at 2017-02-18 02:59
鍵コメさま、ご丁寧にありがとうございます。

いえいえ、ギル愛が薄れてきているのを見破られたのでしょうか(なんという自意識過剰、笑)。嬉しいサプライズでした。ステージの生ギルに会えば、気持ちが再燃すること間違いなしです。

踏み絵を踏むのは、神様を否定する前に、自分を欺くことですもんね。でも、神が存在するとしたら、踏んだって許してくれると思うから、踏め踏めと思う一方で、やはり、それをしたら、生きている価値がなくなると思う自分もいたりします。だから、信者でありながら、何度も踏み絵を踏んでは拷問を免れているキチジローは仲間として信じられる人間ではないけど、でも、彼は信仰を捨てているわけではないですもんね。もしかしたら、彼が一番、神の許しを得ている者かも知れないと思えたりもします。

はい、べっぴんさんのすみれもロドリゴと同じ言葉を口にしてたんですね。観ていたのに、結びつきませんでした。ただ、きよさんの嬉しそうな顔がよかった。宮田さんの演技、素晴らしいです。

「契約結婚」も観ていましたが、そうなんですね。言われてみれば(笑)。何と言ってもスターですもんね。同じものを身につけたい気はあっても、手が出ません。
Commented by うっこちゃん at 2017-02-18 16:02 x
おまさぼうさま、こんにちは。

原作を最初に読んだのは、確か高校生の時です。
辛くて消化できず、そのままにしていた記憶があります。

私は、厳格なクリスチャンだった母や、母方の親族がすべてクリスチャンという家庭に育ったにもかかわらず、キリスト教に疑問を持ち、クリスチャンになれなかった人間です。
これから植民地にしようと思う国にイエズス会の宣教師を派遣し、その国の人々を懐柔し、自分達の思想を植え付けるというヨーロッパの傲慢さを憎んでいましたし。
でもキリスト教にはやはりシンパシーを感じていて、逃れられない宿命みたいなものだと思っています。
おまさぼうさまもキリスト教の大学に行かれてたんですね?

この映画は、原作にかなり忠実で、さすがスコセッシが10年以上も温めていたというだけはあるなと思いました。
ただ、原作では想像するだけで済んでいた拷問のシーンなどが、リアルすぎて辛かったですね。
それが映像の良さでもありますが。


キチジローは、キリストを3度裏切ったユダを体現しているんだと思いますが、終盤はキリスト自身のように見えました。
窪塚洋介さんを選んだ監督の目はさすがでした。
この神の沈黙というのは、現代でもクリスチャンにとっては踏み絵です。
わが実家でも、いとこがが中1の時に、交通事故で頭を打ち、その後の人生をほとんど寝たきりで、意識もない状態で過ごすことになりました。
祈っても祈っても、自らの心も救われず、息子の状態が好転することもない情況に絶望した叔父は、キリスト教を棄てました。
神の沈黙に耐えられず。神なんか存在しないと。
そういう意味でも、私にとっては辛い小説でした。

おまさぼうさまが指摘されてるように、ロドリゴにとっては、キチジローがある意味救いであり、キリストそのもののような存在だったのかもしれません。

私も、最後のシーンは、蛇足だったと思っています。遠藤は書きませんでしたし。

ただ、あのシーンが良かったという方もいたので、人それぞれ、想うところがあればいいのかなとも思いました。
Commented by omasa-beu at 2017-02-18 18:06
うっこちゃん、あんにょん!

コメントをありがとうございます。すでにご覧になってたんですね。うっこちゃんは、まさに、遠藤さんがキリスト教に対して抱いていた複雑な感情をよくおわかりになる一人みたいですね。神の声が聴こえてこないという状況は、ひたすら、自分自身と葛藤する日々ですもんね。肉体的苦痛はなくても、拷問に似たものかも知れないです。

原作は再読する気にならなかったことだけは覚えているのですが、内容は映画を観たあとでさえ思い出せません。映画には描かれてなかったけど、ただひとつ、土の上に顔だけ出させた信者の上に馬を走らせるという拷問が原作にはなかったですか。他の作品かな。それが、とても残酷で、怖くて、心に残っています。最後のシーンは、映画の脚色なんですね。映画的に表現したというよりは、監督の考えなんでしょうけど。

映画にしても、小説にしても、みな、それぞれの人生や体験から感じることはいろいろですから、だから、面白いんだと思います。
Commented by すみれ at 2017-02-20 14:06 x

今更ながらなのですが、人間 生まれてきたら 死ぬまで生きなきゃならないのだな〜〜と !
今、現在も世界のどこかでは、戦争、紛争、信じられないような拷問が・・・
宗教も どれくらいの数があるのでしょう ?
わからない事だらけです。

今 ここにあるものでなく、別のところに あるものを求め、信じ、そこに進もうとする
求める道も、進む方法も、人が存在するだけの数があり、
それが宗教のかたちであれ、その かたちに自分を合わせようとする窮屈さを感じるのは、私のナマクラさゆえでしょうか ?

御葬式は お寺で、神社を通りかかれば無意識に御参りし、クリスマスも楽しむ 日本に暮らす、日々の暮らしに安穏としております。

時折 今 そばに誰かいてくれたの と感じる瞬間があるのが不思議です。

仕事の合間に色々な考えが浮かび、沈み、消えてしまい、結局は的外れなことを書いてしまいました^^;
Commented by omasa-beu at 2017-02-20 19:40
すみれさま

コメントをありがとうございます。
「的外れ」とおっしゃる「的」は、僭越ですが、人それぞれの考えのように思われますから、もしかしたら、的外れこそがその人の個性かも知れませんね。

お仕事をなさりながらの折々に浮かんでは消えて行くすみれちゃんの想いに共感すること大です。歳を重ねてきて、最近思うことのひとつは、もう、言いたいことを言い、したいことを出来る範囲でやればいいということです。どんな状況にあっても、いいことも、めんどくさいこともあるのが人生なんですね。

そばに誰か?心がぬくもる瞬間でしょう。私の場合は、亡き母かも知れません。今でも、しょっちゅう、「おかあさん、あの時はごめん」とつぶやいていますけど、「かまへん。あんたのことはわかってるから」と言ってくれているように思います。いえ、思いたいです。
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by omasa-beu | 2017-02-17 18:45 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(10)

♪♪Kim Nam Gil Forever♪♪ 韓国の俳優キム・ナムギルさんが好きです☆


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