「アンサンブル」のバイオリニスト、クォン・ヒョクジュさん、突然の逝去

突然の訃報に驚いています。バイオリニストのクォン・ヒョクジュ(권혁주)さんが本日未明、滞在先の釜山で急逝されたということです。クォン・ヒョクジュさんを知ったのは、キム・ナムギルさんが製作した映画『アンサンブル』が最初でした。ちょうど4年前の釜山国際映画祭で上映されたことを思い出すとさらに胸が痛みます。その後、2013年には、クォン・ヒョクジュさんをはじめアンサンブルメンバーがナムギルさんと共に来日し、名古屋、大阪、東京の三都市で公演。私は名古屋と大阪に参加し、生演奏を聴かせてもらいました。演奏以外のトークでの朴訥としたお人柄を思い出します。

公演DVD。真ん中の男性がクォン・ヒョクジュさんです。
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今頃、天国への階段で戸惑ってられるかも知れませんね。どうか、安らかにお眠りください。謹んで、お悔やみ申し上げます。

下記の記事はKBS NEWSからお借りしてきました。元記事。


[Kスター]夭折した「音楽の天才」クォン・ヒョクジュは誰?

入力2016.10.12(16:13)|修正2016.10.12(19:36)インターネットニュース

バイオリニスト、クォン・ヒョクジュ(31)が、今日(12日)午前1時27分、急性心停止で死亡した。

クォン・ヒョクジュは今晩、釜山での演奏を控えており、タクシーに乗車している途中、死亡したまま発見された。クォン・ヒョクジュが参加することを期待された「ウム室内管弦楽団結成コンサートUnique Moment」コンサートは、無期限延期された。

故人の遺体安置所は13日、ソウル・ポラメ病院に設けられ、出棺は来る15日である。埋葬は未定である。

3歳の時にバイオリンを習い始めたクォン・ヒョクジュは6歳の時に音楽ジャーナルコンクールで最年少で大賞を占めており、バイオリンの天才と呼ばれた。 7歳の時に韓国芸術総合学校予備校に入学してキム・ナムユン教授にバイオリンを学んだ。

1995年に来韓したしたロシアの教授が彼の才能を認めて留学を勧め、クォン・ヒョクジュは11歳でロシア留学に旅立った。


クォン・ヒョクジュ、パガニーニのバイオリン協奏曲第一番第一楽章
ヒョクジュさんの演奏は、3分20秒くらいから始まります。

ロシアモスクワ中央音楽学校でエドゥアルド・グラツィエ教授に学び、実力を育んだクォン・ヒョクジュは11歳のときにチャイコフスキー青少年国際コンクールにて最年少で2位を占めたりもした。

以降、クォン・ヒョクジュは、モスクワのチャイコフスキー音楽院で勉強した。

2004年、デンマークのカール・ニールセンバイオリンコンクールにて、韓国人で初の優勝、同年ロシア国際パガニーニバイオリンコンクールで1位を占めた。翌年、クムホ・アシアナ文化財で授与するクムホ音楽家賞を受賞し、国内でも認められた。

クォン・ヒョクジュはモスクワ放送交響楽団、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演するなど、国内外で活発に活動し、過去2012年アニャン大学最年少教授として任用され、教壇に立つなどもした。

チョン・ヒェジョン

記事の引用は以上です。

パガニーニがお好きだったのか、2013年7月の大阪公演では、クォン・ヒョクジュさんのバイオリン独奏でパガニーニのカプリース24の24という曲を聴かせていただきました。ナムギルさんによると、この曲が作曲された当時、弾ける人がいなかったほどの難しい曲だったらしく、それを彼が自慢すると紹介のなかで話していました。天国でも、思いっきりバイオリンを弾いて、地球の私たちまで響かせてくださいね。
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by omasa-beu | 2016-10-12 21:57 | キム・ナムギル(2015年~) | Comments(0)

終活しなくちゃと思いながら毎日をだらしなく送っている団塊の世代です。写真は、ドラマ『子連れ狼』(北大路欣也さん版)の大五郎(小林翼さん)。私の癒しです。スカパー「時代劇専門チャンネル」のTV画面から撮影。問題でしたらお知らせください。


by omasa-beu
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