おまさぼう春夏秋冬

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盗作疑惑

洋画家の和田某氏がイタリア人画家の作品と酷似した作品数点を描いていることがマスコミを賑わせている。素人目に見ても、色の濃淡の違いを除いては全く同じ絵のように感じられるが、実際に絵の心得のある人達はどう見ているのだろう。

私が不思議に感じるのは、和田氏がどうしてこのイタリア画家氏の作品群から集中的にモチーフを得ているのかということ、そして、和田氏が今春芸術選奨文部科学大臣賞を得た際に、審査員のなかに、この酷似作品のことを知っている画家はいなかったのかということだ。イタリア人画家スギ某氏が世界的に評価のある画家かどうかは知らないが、なんとか賞なるものは一体どういう基準で選ばれているのか。

余程の天才でもないかぎり、最初は誰でも模倣から入る。「真似るは学ぶこと」と世阿弥「風姿花伝」の一節を引用して故草柳大蔵氏が書いている(「花のある人花になる人」グラフ社)。歌舞伎役者が初役を演じる際には、先輩に教えを乞うのが倣いだ。去年4月の琴平町金丸座で市川染五郎丈が初役で演じた「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」、通称「 毛谷村(けたにむら)」の六助の姿に、私には中村吉右衛門丈の姿が重なって見えた。染ちゃんは叔父である吉右衛門さんに六助の役の性根を教わっている。この後、六助役を演じてゆくなかで、染五郎の六助を作りあげてゆくと思うが、まず先達を真似ることそのものが至難の技だろう。歌舞伎の大名跡を継いだ中村勘三郎丈にしても、「お父さんそっくり!」という大向こうがかかることがある。それは賛辞でもある。役者が違う以上、同じであるはずはないのだが、観客は先代と当代の距離を縮めることに喜びを感じているように私には思える。

観客の心の中に残ることはあっても一瞬にして消えて行く舞台俳優の芸と違い、絵というのははっきりと比較のできる対象である。習作ならともかく、おのが作品として堂々と描けるというのはどういうことなのか、盗作うんぬん以前に、これらの酷似絵を描いたときに和田氏の胸に去来したものは何であったのか、今頃どうして盗作疑惑が浮上したのか、この二人の画家の仲がどのようなものであったのか。山村美紗さんが生きていれば、ミステリーのネタをものにしたかも知れない。
# by omasa-beu | 2006-06-02 00:48 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(2)

“五月雨をあつめて早し最上川”

ご存知、松尾芭蕉の有名な句である。俳句をやっている友達が、私の中学時代の俳句(?!)もどきを当ブログで読み、句作をすすめてくれたけれど、今はまだチャレンジする時期ではないようだ。そこで、6月のご挨拶に、「奥の細道」から厚かましくも「俳聖」の句をタイトルにいただいてしまった。

「五月雨」とは、<広辞苑>によると「陰暦5月頃に降る長雨。また、その時期。つゆ。梅雨。さつきあめ」とある。つまり、現在では6月の梅雨のことである。私のように想像力の乏しい者でも、五月雨のために水かさの増えた川を舟のへりに必死につかまりながら下っている芭蕉一行のイメージが湧いてくる。17文字に情景や心象風景を凝縮させる俳句のすごさがわかる。

私は存在しない"姉"を国語の時間に「死なせて」しまってお叱りを受けたけれど、俳句が創作であるならフィクションも許されるのではないだろうか。まあ、私の場合はちょっと度が過ぎたかも知れないけど(^^;)。
# by omasa-beu | 2006-06-01 01:59 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(0)

団塊のぼやき (7)再就職活動のなかで

高度経済成長期に大学を出てから転職を繰り返してきた。「お前はお父(とう)に似て辛抱がない」と顔も覚えていない父親を枕詞に幼い頃から叱られ通しだったが、大人になっても、その性癖は変らなかったようだ。何を血迷ったのか、心配する母と祖母をこの地に残し、東京で働いたこともある。兵庫、大阪、京都の各地で仕事をし、ボストンでも数ヶ月を過ごした。

やがて中高年と呼ばれる年齢になり、そこで定年を迎えるはずだった会社を解雇されるという形でしっぺがえしを食らった。50代での再就職は予想以上に絶望的なものがあった。ハローワークからの帰り道、バスを待ちながら真夏の雲ひとつない空を見上げたときの茫漠とした不安感は今も忘れられない。

リストラから1年近く経った頃、寺院の受付という未知の仕事に出会った。月給制になってはいたが、時給に換算すれば1時間600円ほど。保険も手当ても何もない、就職という言葉を使うのも似つかわしくない待遇だった。休日も土日以外で週1日。だが、宵越しの金を持たない京女の私、四の五の言える立場ではなかった。

国宝級の仏像で有名な寺院だったが、求職を申し込む前に参拝客として訪れてみた。時は四月、庭のみどりが美しく、仏像ファンなら誰もが知っている菩薩像は静かにそこにおわした。こういう環境で働かせてもらえるなら、それは仏様のご縁だし、仕合せかもしれないという想いが胸をかすめた。面接の日、ご住職と私の出身校が同じということから興味を持たれたのか、「まあ、修行だと思って勤めてください」という励ましとともに採用の通知をもらった。

だが、私はそこを2日で辞めてしまった。理由はここには書かないが、すべてが我慢できなかったからだ。迷惑をかけた以上、2日分の報酬は辞退したが、最後に、お寺からは<はなむけ>の言葉を頂戴した。「そのお歳では、もう仕事はないと思いますよ」

半年後、私はお寺よりも自分に合った職場を紹介してもらえたが、結局はそこも2年で辞め、今もまた履歴書を書くという懲りない生活を繰り返している。

中途半端の連続だったけれど、面白い人生だったと思うし、今が一番仕合せと思うときもある。老後の蓄えはないけれど、何ものにも束縛されることなく、時間を気ままに使える毎日。これ以上のぜいたくが望めるだろうか。あれっ、私、ひょっとして「しき」が近い?
# by omasa-beu | 2006-05-31 07:50 | 団塊の世代 | Comments(0)

「えんぴつで奥の細道」

ポプラ社から出ている「えんぴつで奥の細道」という本がベストセラーになっている。松尾芭蕉の「奥の細道」が書家・大迫閑歩さんの字体で書かれており、読者はその薄文字の上を“えんぴつ”でなぞることで、自分だけの「奥の細道」を完成できる。本屋で手にとってみたが、なかなか面白そうだ。ただ、開いたとき、右側にくる頁が書きにくいかなと思ったが、余計なお世話かも知れない。

文字の上をなぞるというのではないが、私も20代の頃、好きな作家の文章を原稿用紙に書き写すという作業を1年ほど続けたことがある。好きな作家は何人かいるが、誰か一人を挙げよを言われるなら、私は迷いなく、「立原正秋」と答えるだろう。初めて立原作品を読んだとき、私の求めていた文章はこれだと思った。潔い文章がそのまま作者自身を思わせるようで、ある時期、立原作品は生きがいのようになっていた。

またまたおめでたい性根を顕にするのは恥ずかしいが、私は立原さんの文章を書き写すことでその息遣いを会得したいと思った。若気の至りというか、恐れを知らぬ所業であったと思う。もちろん、書き写したからといって、何かを得ることは出来なかったが、何も考えず、原稿用紙を一字一字埋めて行く作業は実に楽しかった。一つの作品を完成するたび、不思議な達成感が得られたものだ。

「えんぴつで奥の細道」が売れている理由のひとつもその辺にあるのではないだろうか。最近の私はパソコン入力に慣れすぎてしまい、たまに手紙や葉書を書くと、妙に緊張して字は踊っているし、簡単な漢字すら出てこない。「えんぴつで奥の細道」はともかく、好きな作品や文章を「書き写す」という愚直な、しかし、充実感を手軽に味わえる行為を再開するのもよいかも知れない。
# by omasa-beu | 2006-05-30 07:45 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(4)

自転車の乗り方ルール(訂正です)

5月14日付当ブログ「自転車の無灯火乗車はやめて、ネ!」で間違った記載をしてしまいました。m(__)m

今日、散歩中に、大きな交差点で警察官が自転車の迷惑・危険運転の取り締まりを兼ねたキャンペーン活動をしているところに遭遇。詳しく聞いてみました。私が以前書いたことで概ね間違いはないのですが、下記の点に関し、訂正いたします。

一、信号のある歩道は自転車から降りる

横断歩道しかない場合は、自転車から降り、自転車を押して歩きます。ただし、横断歩道の横に自転車レーン(横断帯)がある場合は乗車したままその上を走れます。あと、下記の運転にも罰則規定がついています。

一、傘さし運転の禁止(極めて閑散な道路での運転は除く)

大阪出身の婦警さんによると、京都の小学校では大阪ではやっていない「自転車安全教室」なるものが開かれているようです。なのに、大人になると、皆、どうして無灯火運転を平気でするのでしょうか。闇夜で注意するのは怖いので、警察官から注意してほしい旨、お願いしました。というか、無灯火運転は「5万円以下の罰金」ですけどね。お金の問題ではなく、ほんとに危ないんだからあ!

戦争のない日本で、自転車事故のために命を落としたり、重傷を負ったりするのは無念以外のなにものでもありません。たかが自転車、されど自転車です。私、ちょっと、自転車パラノイアかも!
# by omasa-beu | 2006-05-29 18:19 | 社会のこと(忘れてはならない) | Comments(0)

ジャワ地震

スマトラ沖地震からの復興もまだ見通しがたっていない状況で起こったジャワ地震には心底驚いた。昨年のパキスタン大地震も含めて、あの一帯では地震だけでなく、火山活動も活発化しているという。

テロも戦争も恐ろしいが、天災は防ぎようがない。何よりも、大切な家族を失い、あとに残された子供たちの顔を見るのが一番辛い。今、自分に出来ることは僅かな寄付をすることくらいだが、各国からの援助が、それを必要としている人々に行き渡るよう、心底願っている。

まだ救助されていない方々が一刻も早く助けだされますように。そして、命を失くされたお一人お一人に心から哀悼の意を表します。
# by omasa-beu | 2006-05-29 00:46 | 社会のこと(忘れてはならない) | Comments(3)

ICHIRO-MONDOW ~Two Chairs~ 採録 (辻口博啓の巻) on よみうりTV 5/27/2006

イチローとゲストの二人による連想問答である。
本日のゲストは、再び、パティシエ、辻口博啓。<日本にスイーツブームを巻き起こした洋菓子界の革命児>

一 連想せよ 一
この日のテーマ: ベスト      <XXX>内が連想ワード

<食>
辻口: 永遠のテーマ。
イチ: 大切な準備のひとつ。
<慢心>
辻口: 一番気をつけないといけないところ。
イチ: 気づきたいですよね、それに。
<がむしゃら>
辻口: いつもそうだと。
イチ: 人にはみせたくない姿。
<余裕>
辻口: 創造的に破壊しながら進むからこそ、余裕がなくなるし、、、ない。
イチ: ありません。                         (問答終了)

イチロー語録
「余裕なんかありません。いつも一生懸命勝とうとしているのは同じです」
(2001年5月、笑顔が時折見えるとの指摘に対する言葉)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

<がむしゃら>な姿を見せたくないと言ったイチロー選手。その気持ち、わかります。それって、美学ですものね。私も会社員時代はそうでした。気持ちの上では必死にやっていても、いつも涼しい顔をしていたい。だから、よく暇そうに思われました(笑)。なんで、アンタなんかがイチローと比べるのよという非難の声が聞えてきそうです。m(__)m

「昼間は外が楽しそうで勉強に集中できんわ。三島由紀夫も昼間は仕事が出来ないと話してた」と言う私に、「なんで、そんな偉いひとが出てくるの?」と妹に言われたばかりです。私って、ホントにおめでたい人間ですよね。fufu
# by omasa-beu | 2006-05-28 01:02 | ICHIRO-MONDOW | Comments(2)

平原綾香「Jupiter」

中嶋美嘉の「雪の華」を聴いて以来、若い女性アーティストの曲に興味を持つようになった。元々、ラジオのリスナーでない私には最近のヒット曲がわからない。テレビの歌番組は司会者がうざかったりするのであまり見ない。だから、たまにカラオケに行っても昔の演歌を歌うしかなかった。ほんとは好きな「やしきたかじん」の歌でも歌いたいところだが、じんちゃんの歌は難しくて、音痴の私にはとても無理だ。もっとも、閉所恐怖症気味の最近ではあの個室が息苦しくてご無沙汰しているのだけど。

今、気になる歌手は一青窈と平原綾香。平原綾香の「Jupiter」は一日中リピートモードで聴いていることがある。彼女の力強い歌唱が時として暗い道へ行きそうになる私を引き戻してくれる。

♪♪♪
私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと
愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない♪♪♪

(作詞:吉元由美 作曲:G. Holst 編曲:坂本昌之)
# by omasa-beu | 2006-05-27 06:22 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(0)

藤原正彦「国家の品格」

買ったままで放ってあった大ベストセラー「国家の品格」をやっと読み終えた。藤原正彦といえば、私にとって「若き数学者のアメリカ」であったのに、その若かった藤原さんが「武士道精神」を唱えながら、いつのまにか頑固親父の風貌をもって帰ってきた。

藤原さんは小川洋子さんの「博士の愛した数式」(新潮文庫)のあとがきを執筆しているが、「国家の品格」を読むと、「博士」が数字の不思議について語る時の「美しいと思わないかい」や「ああ、なんて静かなんだ」という台詞がお二人の対話から紡ぎだされたことがわかる。

藤原正彦の「武士道精神」の礎となっているのは、お父上である作家、新田次郎氏から受けた教えにあるようだ。お父上はこう言われた。

「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」
「弱い者を救う時には力を用いても良い」
<ただし、五つの禁じ手がある>
「一つ、大きい者が小さい者をぶん殴っちゃいかん。二つ、大勢で一人をやっつけちゃいかん。三つ、男が女をぶん殴っちゃいかん。四つ、武器を手にしていかん。五つ、相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん」

その根底にあったのは「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりするのは卑怯だ」というそれだけの理由だった。「卑怯を憎む心を育てないといけない」と藤原さんは言う。三つ目の「男が女を殴ってはいけない」という教えについては、今は逆もありなのではと思うが、昨今多発している卑劣な犯罪やいじめを見ていると、こういう精神の欠如が日本中に蔓延していることがありありとわかる。国を形成している私たち一人ひとりが、その品格を問われている。

小学校の教科として英語やパソコンを教える愚を説き、国語をしっかり教えよと藤原さんは言う。言語は思考である。本を読み、語彙を増やすことなくして、思考はできない。

「論理」や「自由・平等」のような、一見、世界の金科玉条のようになっている思想にも「論理的」に切り込み、実に痛快に喝破する。

藤原正彦一流のウィットやユーモアがあちこちに散りばめられているので軽く読めてしまうが、内容を十分理解するには何度か読み返す必要がありそうだ。
# by omasa-beu | 2006-05-26 01:40 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(4)

またも新大久保駅で、、

韓国人の留学生、申鉉亀(シン・ヒョング)さんがJR山手線新大久保駅のホームから転落した女子大生を救ったニュースが報じられている。くしくも、2001年1月26日、韓国人留学生李秀賢さんとカメラマンの関根史郎さんが酔っ払い客を救おうとして命を落とした場所である。今朝の京都新聞によると、当時ホームには20人ほどの客がいたそうだが、ただ見ているだけだったようだ。

これは事実なのか。女性を救うためホームに降りた申さんを手助けする者はひとりもいなかったのだろうか。電車が頻繁に出入りする線路上に降り立つことは非常に危険なことである。運が悪ければ二人ともどうなっていたかわからない。申さんより前に女子大生に気づいた者はいなかったのか。駅員はいなかったのか。駅員に知らせ、電車を止めようとする者はいなかったのか。

おそらく一瞬の判断を要する出来事であったと想像するが、申さんの勇気に頭が下がる一方で、すっきりしない想いが残っている。
# by omasa-beu | 2006-05-25 11:28 | 社会のこと(忘れてはならない) | Comments(5)
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♪ ♪ Kim Nam Gil Forever ♪ ♪  韓国の俳優キム・ナムギルさんが好きです☆ドラマ『名不虚伝(ミョンブルホジョン)』11/17からMNETにて放送開始!!


by omasa-beu
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