おまさぼう春夏秋冬

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映画『パンドラ』 第二弾ティーザー予告編公開(死闘編)

予告編第二弾「死闘編」が公開されました。

youtubeの映像はこちらでご覧になれます。
헐.. 이거 설정부터 완전 핵소름 ㄷㄷ..
대한민국을 덮친 강진에 원전 사고라니!
김남길에 심지어 김명민이 대통령 역

えっ。。これは設定よりも完全に超とりはだ(こわっ)
大韓民国を襲った強震に原発事故とは!
キム・ナムギルに加え、キム・ミョンミンが大統領役
<オーエンエンターテインメントさんFBコメントより>

by omasa-beu | 2016-10-31 20:19 | 映画 パンドラ | Comments(6)

漢陽都城10人10色 エピソード07 日本語訳

膝の筋トレのために通い始めたトレーニングジムは、一方の壁が一面の鏡になっているので、ふとした時に嫌でもわが姿が眼に入ってきます。


「あの鏡、おかしい!」


ブティックの姿見などは、心持ち、細く映るようにしつらえられていると思いますが、このジムの鏡は、その逆バージョンのようだと、とっさに感じてしまったのです。しかし、冷静に考えると、それは実像。歩き回れなくなってからのたった1か月半の間に、ますます肉がついてしまっていたのです。体重そのものはそれほど増えてはいないのに、観た眼は最悪。いつもいつも思うこと。こつこつと何かをし遂げる場合の努力はいい結果を生むけれども、逆も真なり。膝のためにも減量は必須事項。特効薬は、ナムギルさんの来日情報かも知れませぬ。


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©Gilstory


さて、エピソード07の日本語訳です。漢陽都城プロジェクトに際して、ナムギルさんは、途切れた道を探して歩くだけでなく、相当、いろんな本や資料を読んでいることがわかります。今回は、若くして人生を終えたひとりの文人を巡ってのエッセイです。


キム・ナムギル、過去と現在、そして、未来につながる人生


2016.10.18 by キム・ナムギル


ソウルの南大門あたりに暮らし、生涯に特別なこともなく、文章を読み書きしながら短い人生を生きた21歳のひとりの士大夫。1775年元旦に文章を書き始め、彼が十年以上認めてきた数十冊の彼の特別な日記。僕は漢陽都城を歩くたび、彼の日記を思い出す。


その長い時間の間、日のようにした面の告白と過去と現在そして未つながる生活を描いた彼の日記。そうやって自分が生きた時代を次世代につないだ彼は、文章を書くのと同じくらい、こまめに旅に出かけたという


朝鮮時代にはをしようとすると、あらゆる苦労をせねばならなかったはずだが、「旅」こそ世の中でそんなに楽ではないはずと思っていたこの特別な学者はいつも一人でき回っていたそれも何の目的もなくあちこち高尚な場所、卑しい場所のえり好みなく、朝鮮の土地の上をかけずり回った。そうやって直接となった


緑のセリが柔らかく咲き誇り、わらぶきの家の塀を取りむ安岩洞、カササギが姫垣の上を行き来するたびに、その足の裏につく桃の色で満開になる城北洞、雲ひとつない星の夜ホタル月光りで薄明るい清渓川など、彼の描は今の都城の壁に昔の漢陽の姿を生き生きと投影させる。


その内密な街の土の匂いが出る風景


そして、彼が描いた風景は、その時代の公式記とも一致する部分が存在する。正祖王が還宮した日、南大門で王見るために多くの人が集まってたという。この日の「日省というには、正祖見物する人暮れ互いに踏み合う事故が起こるのを懸念して南大門と昭義門を閉めずに夜間通行禁止も解除せよとの指示もあったという。


そして、この日の記を彼もしたという。おそらく、その日彼も王の行幸を見に家の近く南大門から王の輿通り過ぎるのを待っていたのだ。そして、その場にいた灯りの下に映るの表情さえ見えるように書こうとした


そのほかにも、彼いた漢陽都城のと外の旅路はいつも詳細であり、だった。おそらく彼にとって、都城と外を旅するすべての過程は、また別の書きものだったのだ。心の中にそのどんな色や形もなく、散する塵のように漂う思考や感情を集め整理しようとした漢陽都城のスンソン(城めぐり)道。


その時期、病気の子供や家の心配で重い気持ちを楽にできないまま、ふさぎこんで家に帰る道。やがて、漢陽都城に入る城門に向き合う頃、泊まることになった居酒屋。そのそばの垣根には、彼の好きなハマナスが見事に咲いていたという。


そしてその瞬間、実に不意に、やりたかったことを繰り返し考えるようになったと告白する。「今とは全く違う姿で世の中に隠れている物語を探し回って、それを書き記したい」ということだ。


異なる時空間を持っている漢陽都城


それほど、どこであれ、歩いて、立ち寄ってみながら、自らとの対話を愛した両班。そんな人なら、スンソン(城めぐり)という壮挙をする季節が変わる間にどれほど歩んだのかを想像してみる。少なくとも、季節が変わるたびに出かけたのではないのか?


節季ごとに変わる城郭の下の風景だけでも他の時空間にいるような勘違いをする漢陽都城だけれども、すでに、あり余る秘境を持っていたとしても、いつまで、この都城の中だけに閉ざされて姫垣のうえを走り回りながら、遊ぶカササギだけを見物するうちに、この人生すべてが終わってしまったらどうしようと焦ったりすることもあったという。


200余年前の朝鮮でも今日でも、人が暮らす世の中は似たようなものか、自分との戦いと和解を繰り返す内に、自分自身を憐れむ彼の告白は日記の中に生き生きと残っている。ある部分は、見る人が皆、胸が痛み、垂れた肩を叩いてあげたいほどだ。


あなたが生きていた時空間に込められたそのスンソン道がうらやましいと、天運をもって生まれたのだと語ってあげたい。あなたもそれを知っていたのかと、すでにその話の中に残る漢陽都城の土の道がどれほど美しかったのか。。すでに彼の両の眼に収めていたはずだから羨ましくてしようがないと、今さら途切れた漢陽都城を全部復元することもできないというわけだ。


過去と現在、そして、未来の繋がりの輪


日記を書いた人。大丈夫だと言うには、大丈夫ではない日にも、幸せだとあえて声に出して告白するには恥ずかしい日々にも、進んで自分が存在するその場で日常を記録した誠実な作家。彼はさほどに極めて私的な経験を記憶して天が与えた命を全うしようとした「欽英(흠영)」を書いた「ユ・マンジュ(유만주)」である。

(注: ユ・マンジュ 1755~1788


今もなお、漢陽都城のスンソン道に漂っている彼の時間、その人が見たその時代の漢陽都城を共に想像してみる。彼が歩きながら昔の時代をたどったように、語っていた都城の内と外の記憶を今の漢陽都城に重ねてみる。


いつの間にか、とうに消えてしまったものとの鮮やかな対話が始まる。そんなにもちっぽけな生の美しさ。そうして、今日も漢陽都城が送る風の道から聞こえてくる昔の音に耳を傾ける。漢陽都城を通して自分との繋がりを望みながら...「現在とは全く違う姿で世の中に隠れる話を探し歩いて、それを文章に書き記したい」と僕もまた願うのだ。


キム・ナムギル


「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城1010色プロジェクト>の市民参加者、キム・キョンスさんが直接撮影した映像で『繋がり』をテーマに制作されました」


写真と映像は、こちらをご覧くださいませ。




「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城10話」はこちらです。


キム・ナムギル、仁王山を

越えて彰義門へ


by omasa-beu | 2016-10-30 14:35 | Gil-Story | Comments(4)

映画『パンドラ』の初ティーザー予告編公開(災難編)

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俳優キム・ナムギルがジェヒョク役で出演する

映画『パンドラ』の最初のティーザー予告編が公開されました!


12月公開!!! たくさん期待していてくださいね


写真はオーエンエンターテインメントさんのインスタグラムからお借りしました。


予告編はyoutubeにもアップされています。


'パンドラ(Pandora)'(キム・ナムギル、キム・ミョンミン)

本編を観られるのはいつの日になりますか。ともかく、一歩、近づきましたね。楽しみにまっています。

記事をアップする際の管理画面が新しくなっているので参考に使ってみました。要領がよくわかってなくて、思い通りになりません。使い方をきちんとチェックするのがめんどくさいという性格でして、また、旧画面からアップすることになるかも知れません。見にくいようでしたら、ご容赦ください。


by omasa-beu | 2016-10-29 14:27 | 映画 パンドラ | Comments(2)

韓国語ボキャブラリー <社会の窓>

映画『ある日(어느날)』の公開日が延期という残念なお知らせにギルペンのみなさまは意気消沈してられることでしょう。11月2日には制作報告会に登場されるナムギルさんを楽しみにしていただけに、ほんとに、がっかり、がっくりですが、しばらくは待つ楽しみを味わうしかないようです。

さて、「韓国語ボキャブラリー」というカテゴリーで選ぶ単語やフレーズは、出来るだけ、ナムギルさんのドラマや映画、彼が語った言葉などに関連するものにしたいと考えています。今回は、漢陽都城のエッセイにも出てくる言葉というよりも地名、四大門のひとつ、南大門(남대문)をピックアップしました。

私が初めてソウルを訪れたのは、2002年7月。ソウル市内に入り、ホテルのある明洞に近づいてくると出迎えてくれる南大門に胸がときめいたものです。繁華街の真ん中に建っていることには気も留めずにいましたが、ナムギルさんのエッセイを読んで、その意味がやっとわかったような気がしています。

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今はなき南大門の写真は自分でも撮ってきたのですが、何台か前のパソコンに保存したままになっているのか、見つけられません。なので、私にとって、韓国への扉を開いたくれた日韓共作ドラマ『friends』からキャプチャさせていただきました。

最近観たドラマのひとつに韓国でヒットしたドラマ『未生(미생)』があります。私自身、大会社から社員数名の小さな事務所まで、両手の指で数えられないほどの職場で働いてきました。ほとんどの場合は正社員でしたが、派遣や契約、アルバイトに至るまで、いろんな身分や役職で働いてきたせいか、仕事の現場をリアルに描いている作品に共感を覚えたり、日本との違いを感じながらも面白く観ました。ドラマの筋には関係ないですが、他の韓国ドラマと異なり、日本のサラリーマン同様、ビールを呑むシーンが多かったのも、ビール党としては嬉しい発見でした。しかし、仕事の現場を離れて久しい今、『未生』の世界は懐かしくもあり、もはや、私にとっては遠い世界のような気もします。

前書きが長いですね。その「南大門」と「社会の窓」との関係とは? 

コピー室で顔を合わせた主人公のチャン・グレ(イム・シワン)と同期入社のアン・ヨンイ(カン・ソラ)。使い走りの毎日からちょっとだけ解放され、仕事を任されるようになってご機嫌のヨンイはグレをからかいます(11話)。

장그래씨 남대문 열렸네요.
チャングレッシ ナムデムン ヨリョンネヨ。
チャン・グレさん、南大門が開いてますよ。

たしか、最終回あたりにも同じようなシーンがあり、またも、引っかかっていたグレです(笑)

남대문(南大門)の남(ナム)は남자(男性)の(ナム)と同じハングル。もひとつ、남길さんの남でもありますが、それは置いておいて、ナムにナムをかけた言葉遊びですね。

うつむいてズボンの前を確かめるグレに(実際は開いてない)、次の台詞が続きます。定番なのかな。

인사 잘 받았다.
インサ チャル バダッタ。
お辞儀をどうも。(挨拶をされちゃった)

『未生』について、ご存じない方は、こちらをご参照ください。ずぼらですみません。

アメリカドラマにも同様のシーンがあり、面白いので一緒に記録しておきます。

『メンタリスト』シーズン7―4話。

Hey, Cho, fly’s open!
チョウくん、前が開いてるよ。

携帯電話での会話なのに、メンタリストのジェーンからの突っ込みに、一瞬、戸惑うチョウ。防犯カメラを通して見られていることに納得。「前が開いてるよ」という言い回し、英語では、数え切れないほどの表現があるようですが、その中の一例、「Gate’s open.」は、まさに、韓国語に共通していますね。そうそう、日本語に通じる「Your window’s open.」というのもあります。

チョウを演じているのは、韓国系アメリカ人俳優のティム・カンさん。シーズン1の頃から見ると、どれだけ鍛えてるねん!というほど、体格が大きくなっているので、びっくりぽんです。クールガイ。

実際には使うことはなさそうですが、いえ、ナムギルさんを前にして、「남대문..」とつぶやいたら、お辞儀をしてくれるかもしれませんよ(笑)
by omasa-beu | 2016-10-27 21:26 | 韓国ドラマ/映画・韓国語 | Comments(6)

変形性膝関節症の途中経過(記録)

前回の診察日から4週間目の今日、3回目の診察。前回、イケメン医師に言われた通り、朝晩の自宅筋トレは欠かさず実行。一回に30分はかけていたものの、数日前まで、よくなっているという実感はなく、従来、歩いて5分で行けるスーパーマーケットにも15分から時によっては25分もかかるというざまに、本来、何事も深刻に考えない私もちょっとお先暗いかなという心境になりかけていた。

そういうタイミングで観たのが、金曜日の夜、SMAP中居くんMCの番組だった。なんと、たった3分でひざ痛が改善するというのだ。いつもならマユツバですますところ、溺れる者は藁をもつかむというのは人間の本性。テレビを観ながらやってみたところ、確かに脚が軽くなった実感があった。

それだけで、世の中がどれだけ明るく見えたことか。しかし、まあ、そう簡単に歩ける訳はなく、しかし、少しは明るくなった気分で受診した診察。

「まだ、杖がいりますか?」とイケメン医師の第一声。言外に、ちゃんと筋トレをやってないんじゃないの?という皮肉を言っているわけでもなく、こちらの繰り言をひたすらパソコンに打ち込んでいる医師。

生まれて初めて、歩けなくなるという経験をしたためか、杖はなくてももう歩けるけれど、もしやという思いが消えないのだ。「いえ、持っていると安心ですので」と答える。

「山登りは無理でも、ふつうに歩けるようになりたいんです。筋トレを続けていればよくなるんでしょうか」とオトコマエな横顔を見ながら、医師にすがる私。

「未来のことは何とも言えないですよ。わかりませんからね。最終的にだめなら、人工関節ですね」と正直なお返事。おためごかしの返答よりは好感が持てるというもの。でも、先生、やっぱり若いわ。現実はともかく、もう少し、希望を持てるような診断でもいいのではと感じる。

自宅での筋トレがきちんとやれているかどうかわからないので教えてほしいんですがと頼むと、それでは、リハビリセンターに行きますかという訳で、付属のセンターへ転院。イケメン医師とはお別れとなった(涙)。

その後、すぐ近くのリハビリセンターで、改めて、別の医師の問診を受ける。私は大きな病院は苦手で避けていたが、カルテやレントゲン写真などがオンラインで見られるので、ほんとに便利な世の中になったと思う。

ジムに案内され、担当のPT(理学療法士)さんに挨拶。ここは一般にも開放されているトレーニングジムだが、病院に運営されているのが特徴。リハビリ中の人たちやトレーニングの人たちですごい賑わい。

PTさんは、かつて野球をやっていたという、気はやさしくて力持ちなお兄さん。私が自宅でひとりやっていた筋トレを見てもらい、アドバイスを受ける。ほぼ、間違ってはいなかったが、ただ、脚を上げ下げしているだけだったと認識。その運動がどういう効果をもたらすかという意味を聞きながら、さらにパンチの効いたやり方を教えてくれる。

1時間を超える初日のトレーニングを終了。今後は、自宅での筋トレにプラスして、週2回のリハビリセンター通いで次回のキム・ナムギルON STAGEに備えることになる(つもり)。さすがに、漢陽都城を歩くのは無理かな。
by omasa-beu | 2016-10-24 22:15 | ビョーキ(片頭痛、他) | Comments(13)

漢陽都城10人10色 エピソード06 日本語訳

21日午後2時過ぎ、突然、鳴り響いたスマホからの警報にはびっくりさせられました。スマホ画面の「鳥取県で地震発生」の文字から一瞬遅れてやってきた揺れは最近では比較的大きいものでしたが、それでも震度3程度でしたから、鳥取県中部に発生した地震の大きさを思い知らされるものでした。

被害に遭われたみなさま、避難中のみなさまに普段の生活が一日も早く戻りますよう、心から願っています。

日本列島は、もはや、地震に関しては安全な場所はないように思いますが、今回、好きなように歩き回れなくなってみると、いざという場合、何の役にも立たないどころか、自分自身が逃げることもできないとつくづく感じています。身体の不自由な方やご年配の先輩方、幼いお子さんをお持ちの方のご苦労を今更ながらに実感させられることになりました。

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©Gilstory


さて、エピソード06の日本語訳です。今回のタイトルにある「어울림」という単語には、「調和すること、釣り合うこと、交わること」などの意味合いがあるのですが、もひとつ、しっくりこないので、大雑把な意訳をしてしまいました。ナムギルさんが意図するところは、最初のパラグラフに記されているかと思いますので、どうか、ご了解ください。

キム・ナムギル、漢陽都城と共にあること

2016.10.18 by キム・ナムギル

https://storyfunding.daum.net/episode/13476

「調和する」という言葉のように温かな言葉がまたとあろうか? ある時空間に共に存在するすべてのものが互いに調和をなしてひとつの風景を作り出すこと、すでにそれ自体で十分であり、趣がある。

ある春の日の朝早く、興仁之門を出た茶山(タサン)こと、丁若鏞(チョン・ヤギョン)。彼が生きていた時代には明らかに一つも欠かさず繋がる都城に出合うことができただろう。「4月7日早朝、興仁之門を出ると - 都城の門を出るたびに喜びがあふれ、天と地が寛大に抱いてくれるように、遠い水路は朝焼けに輝き、山々は春の日の美しさを誇る。(與猶堂全書から)」

4月7日早朝、興仁之門を出ると

漢陽都城を完全に享受することができる特権ではなく、特権を持っていたその時代の人々がたまらなく羨ましくて、たちまち癪にさわってくる。到底、直接その時間のなかに生きていなくては、到底、推し量れないだけの雰囲気が欲しくなる。いっそ、知らないほうがよかったことを、そのまま、通り過ぎて行くことを.. スンソン(城めぐり)をしてみると、ある瞬間、そのような感情が訪れる。

もちろん、過去の時空間を想像すること、そこで、現在に再現し上げることは不可能ではないのだ。多くの人がそのことをやってきたし、多くの小さな成功はいつも積み重ねられてきた。しかし、単に歴史的事実に関する研究と文学的想像だけで表わすことができない余白も確かにある。

猫が昼寝の後にのんびりと全身をぶら下げて伸びをするときのように、その柔軟な身振りで山並みをよじ登る城壁の姿だけは到底復元することができない。どうしても、その風景はそのとおりに再現されることはできない。

考えてみれば、僕たちはただの一度も完全につながる城郭を見たことはない。伝説のように、ただ、話を伝え聞いただけだ。虎がタバコを吸っていた時代、すごい昔むかしにはそうだったようだが..

その時はそうだったって..

漢陽に喜ばしくも調和していた都城、城壁から城壁をつないでいた城門、その天井のアーチのなかに描かれた鳥と龍を覆い隠す内側は草花や木々。都城のそばの森の草むらに隠れた虎、山ウサギ、カササギやカラス。そして、また、城門の敷居の下、土の道に生じた草履の足跡。そうして、城門から城門にそのまま続いていた叙事を完全に享受していた昔むかしの都城の人々。

しかし、今はあまりに多くの時間が流れてしまった。城壁と城門は互いに調和してはいない。つながっていない。神話の中の伝説のように標石だけが残っていたり、偶々、城門が残っているとしても、道路の真ん中に無人島のように孤立し、ぽつんと取り残されている。時たま、山の奥深くに残る城壁は完全に城門と共に保存されてあっても、すでに、その頃と同じ道ではあり得ない。

いくら想像してみても、実際に見て感じたものでさえないのだ。本来なかった道でも、作って頭のなかで数限りなく描いては消してみたりを繰り返す。城門が位置していた跡地に建てられた標石でも写真に残しながら、自分なりに残念な思いを慰める。

アスファルトの道路に、コンクリートの建物に城壁が途切れると、つい、台無しとなる。こんなときは、あえて、昔の漢陽都城の城郭の道を探すのが何の役に立つのかと懐疑心さえ生じる。スンソン(城めぐり)を続けてみると、間違いなく、いつかは訪れてくる何故か悔しいこの思い。

昔の漢陽都城の城郭の道を探すのが何の役に立つのか

それでも、もう少しその場にとどまって理由がわからない喪失感を静めてみると、こんな感情を先にもっと深く経験した世代がいたということを思い出させる。1928年、その年の秋、団成社(注: 映画館)で歌手イ・エリスが歌って大ヒットし、全国に広がった「荒城の跡」を聴いてごらんなさい。

当時の京城を揺るがした最高のヒット曲「荒城の跡」。廃墟となった高麗の古い宮跡を訪れ、寂しい感慨を告白する歌。城はすでに崩れて空き地である。廃墟を訪れた旅人は一人で眠ることもできず、もの悲しい虫の声だけを聞く。ひとりぼっちの旅人と失われてしまった漢陽である京城、解体された都城は、実に似ている。

(注: イ・エリスさんの歌はこちらでお聴きになれます)

いつの間にか、城門を朝夕に開閉し、城門を守り、面倒を見て、大事にしてきた人たちは形もない。城門が撤去され始めてから、その数年の間、漢陽が城郭都市だったという事実さえすべて忘れてしまったようだ。そして、このもの悲しい歌が発表される数ヶ月前、東亜日報に連載された「九門八字打鈴」には、その序文で、それこそ捨てられた高麗の古い宮殿のような都城の運命を嘆いている。

「昔のソウルは廃墟に戻ります。(中略)城が崩れるのと同時に、門楼も自然衰退してしまいます。幸い、東大門、南大門はそのまま老いて黒くなった顔に白い白粉をつけて、病身の状態をとりつくろって座っているだけ、その残りはすでにいつかの年に死んでしまったのか、屍すら見つける方法はなく、痕跡なく、行ったり来たり、いくつかのものがまだ残っていると言っても、幾日かのうちに同じ運命をたどるようです..」

守り、面倒を見て、大事にしてきた人たちは形もない

当時、首都を取り囲んでいた自然な繋がりは途切れてしまった。表面上、都市計画のために都城の門を解体するなどという名分を立てたが、1899年、敦義門 - 清涼里の間に初めて電車が開通した際にも城門は手を付けなかった。その時は、軌道を城門内に通過させることで、城壁の破壊を避けた。

1902年には、崇礼門と敦義門の丹青を新たに塗ったりもした。しかし、1907年、高宗が強制的に退位させられた直後、日本の圧力で設置された城壁処理委員会によって、崇礼門の左右の城壁が撤去され、都城は、解体の道を歩むことになる。

いや、何、つまり、人が暮らすことはすべて同じさ。都市を近代的に再整備するのがどんな大変なことになったとしても、時代が変わったと言う人たちもいただろう。自動車が初めて朝鮮の街に現れたとき、その音が出す怪物に驚いて気絶した人たちが多かった時期も経て、皆、その自動車を現代の文物の象徴と感じて乗りたいと思ったというのだ。

1924年、当時も漢陽都城はすでに色あせた遺物だったかもしれない。ほとんどの人々は、また、そのように自然に受け入れていたのだ。それでも、当時の人々は、比較的近年まで、漢陽都城の本来の姿を覚えていたのだろう。だから日常に追われて常に振り返ってみることはできないにしても、その思いは切なかったと思う。

ある瞬間、当たり前のように繋がっていた城壁が当たり前のように途切れてしまったので、子供の頃、城郭に沿って漢陽都城の風景を見下ろした記憶でも浮かんでくると、さらに空虚に感じられるのだ。すでに消えた城壁を想像して再建されても、素晴らしい想像力の限界から描き出せない残念な思いだっただろう。

漢陽都城の風景を見下ろした記憶

そうやって生きてきて、ふと、いつか、連絡が途絶えた旧友、さらに遡って、小学校時代、かすかに覚えているイタズラばかりしていた仲間の顔を懐かしむように漢陽都城が懐かしくなった。

そうだ、そうやって懐かしいものは懐かしいままにしておこう。失ってしまったものは失ってしまったままにしておこう。すべてを手にすることはできなくても、決してすべてを失ってしまったことではないのだから。

漢陽都城が保っていたその数多くの調和。それだけでも、すでに過去と未来の間が、まさに、今、ここに存在する僕たちに力となっていることだと信じながら。

キム・ナムギル

「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城10人10色プロジェクト>の市民参加者、パク・ヨンジュさんが直接撮影した映像で『調和』をテーマに制作されました」

写真と映像は、こちらでご覧くださいませ。

「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城9話」
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キム・ナムギル、敦義門を通り過ぎ
隠された道を歩む

https://storyfunding.daum.net/episode/13519
by omasa-beu | 2016-10-23 16:50 | Gil-Story | Comments(6)

キム・ナムギル主演映画『어느날(ある日)』11月末公開(韓国)

今朝一番に飛び込んで来たオーエンエンターテインメントさんのインスタグラムです。『パンドラ』に先駆けての公開とはびっくりぽん!です。日本公開は、パンドラともに、来春以降になれば嬉しいです。言わなくても、そんなに早くは来ないかも知れませんけどね。
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o_n_ent_ 올 겨울 스크린을 따뜻하게 만들어줄 영화 '어느날'의 티저포스터가 공개외었습니다.
今年の冬、スクリーンを暖かくしてくれる映画『ある日』のティーザーポスターが公開されました。

下記はネット記事の引用です。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/10/20/2016102000716.html

キム・ナムギルxチョン・ウフィ「ある日」、11月公開。一風変わったケミ(相性)

入力:2016.10.20 08:25

[OSEN =キム・ギョンジュ記者]映画「ある日」が公開日を確定し、ティーザーポスターを電撃公開した。

俳優キム・ナムギルとチョン・ウフィが主役を務めるメロ映画「ある一日」が来る11月末に封切りを確定したもの。

「ある日」は昏睡状態に陥った女性の魂を見るようになった男性カンスと不慮の事故で霊魂となり世界を初めて見ることになる女性ミソが互いに出会うようになって展開される物語を扱った作品。

今回公開されたティーザーポスターは、世界で唯一、ミソの魂を見ることができる男、カンス(キム・ナムギル)と新しい世界に出会った魂、ミソ(チョン・ウフィ)の特別な一日を温かく描き出して視線をとらえる。

まぶしい日差しの下のあたりを眺めるカンスとミソの姿が二人の運命的な出会いを予告しながら、映画の中のストーリーに対する期待感を倍増させ、黒のスーツをきちんと身につけたまま誰かを偲ぶように空を見つめるカンスと晴れやかな微笑みを浮かべて透明に輝くミソの魂がその裏にどんな事情を秘めているのか疑問を呼び起こす。

この「私にだけ彼女が見え始めた(나에게만 그녀가 보이기 시작했다)」というコピーは、突然、カンスの人生に訪れたミソの魂が果たして、互いの生活にどのような変化を引き起こすことになるのか好奇心を増幅させる。

[出処]本記事は、朝鮮ドットコムで作成された記事です。
by omasa-beu | 2016-10-20 13:10 | 映画 ワン・デイ 悲しみが消えるまで | Comments(8)

キム・ナムギル主演映画『パンドラ』12月公開(韓国)

やっと決まりましたね。ナムギルさんも喜んでいることでしょう。共演者はおなじみの俳優さんたちですし、どんな作品になっているのか楽しみです。

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キム・ナムギル、キム・ミョンミン 災害映画『パンドラ』12月公開

http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20161017_0014454193&cID=10601&pID=10600

【ソウル=ニューシス】ソン・ジョンビン記者=キム・ナムギル、キム・ミョンミン主演の災害ブロックバスター『パンドラ』(監督パク・ジョンウ)が12月封切りを確定したと配給会社ニュー(NEW)が17日、明らかにした。

『パンドラ』は、地震や原子力発電所を素材にした災害映画だ。初めての災害の中で、家族を守るために死闘を繰り広げる人間の物語を描く。この作品は、製作段階からキム・ナムギル、キム・ミョンミン、キム・ヨンエ、ムン・ジョンヒ、チョン・ジニョン、キム・デミョンなどの優れた演技力を持つ俳優たちが大挙合流して関心を集めた。

キム・ナムギルは家族を救うために、災害に立ち向かう発電所作業員「ジェヒョク」を、キム・ヨンエは、子のためにがむしゃらに生きてきたウォルチョンリ住民であり、ジェヒョクの母「ソク女史」を、ムン・ジョンヒは一人息子を育てる「チョンヘ」を演じた。また、チョン・ジニョンは、災害を防ぐために孤軍奮闘する発電所所長「ピョンソプ」を、危険にさらされた仲間を救おうとするジェヒョクの友達「ギルソプ」役はキム・デミョンが、災害を前にした若き大統領「ソクホ」は、キム・ミョンミンが務めた。

演出は「ヨンガシ」(451万人・2012年)のパク・ジョンウ監督が引き受けた。
by omasa-beu | 2016-10-17 12:52 | 映画 パンドラ | Comments(12)

漢陽都城10人10色 エピソード05 日本語訳

第21回釜山国際映画祭は、今夜、閉幕したようですが、ナムギルさんが参加していないというだけで、興味は半減していますから、私自身はつくづく映画好きとは言えないと思います。今は、『パンドラ』や『ONE DAY(マイエンジェル)』が日本で公開されることを願うのみです。『殺人者の記憶法』はまだフィルムマーケットには出てなかったのでしょうか。

さて、遅くなりましたが、エピソード05の日本語訳です。単語そのものの意味が辞書やネットでもわからなかったりする箇所があったりして、ちょっと意訳になっている部分もありますが、ご了解くださいませ。今回の旅を読んでいると、ますます、時代劇の扮装をしたナムギルさんが漢陽都城を歩いている映像を観たくなります。

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©Gilstory


キム・ナムギル、自分探しに
出かける旅


2016.10.11 by キム・ナムギル

https://storyfunding.daum.net/episode/13235

旅の行路で表現すると、僕の今回の漢陽都城のスンソン(城めぐり)旅はどこまできたのか?

漢陽都城について、その多くの印象や風景をすべて収めようとすると、明らかに、全宇宙の銀河系を必要とするようだ。恵化門から興仁之門、再び、光熙門、南小門址、そして、崇礼門まで。もう終わりかと思ったのに、メビウスの帯のように続くスンソンが開いた道。再び、くねくねと曲がったところには、昭義門、敦義門。山の奥深くに引っ込んでいる彰義門から粛靖門まで、そのすべての道を休まずに一気に歩くとめまいが起こりそうだ。

そうやって、道のあちこちにそそり立ち、また、他の道を切り開いた四大門と四小門

一見すると、首都である「漢陽」とその他の地方を区別するための塀のようなものではないのか...
城門があるのは、人と物資が行き来してこそ、首都の機能を持つから当然のことであるし、大したことではないと見ることもできる。スンソン遊びに対する最初の印象もそれと同じだった。

最初は、ただ、城の外壁に沿って歩くことが遊びというのが、それも何百年以上の時間の間、流行したという話を聞いて不思議に思った。しかし、直接、少しずつ慣れ親しみながら漢陽都城を区間ごとに歩いてみると面白味があった。

パズルを合わせるように、その時その時、空いた空間を埋めていくような、そんな満足感がある。だから、その時代の人々には、これほどの旅先はなかっただろう。漢陽都城こそ、首都の中にある保養地ではなかろうか? 朝鮮時代には、これだけの旅行地はなかったと思う。

まず、その頃は漢陽の内と外を行き来することは容易ではなかっただろう。地方から漢陽に来ると、その旅は最初から険しかった。道は狭く曲がりくねり、舗装道路は存在しなかった。そのうえ、夏場の集中豪雨で、川に橋をかけてもしばしば流されてぬかるみになったりもした。

それのみか、すべての旅人は膨大な荷を荷駄ごとに包んで行き来しなければならなかっただろう。そのうえ、馬が食べる大豆と覆いをする毛布も別に手に入れるのは難しく、人や荷と共にくくりつけて通ったのだ。

それでも、旅人たちはいたのだ。

公的な業務を遂行したり親戚や友人に会ったり、科挙の試験を受けるために上京したり島流しで行かねばならなかったり、あるいは、道端で生業をたてる行商人たち..

そのあらゆる民たちの旅。その時代は、自分が住んでいた村を離れて旅に出ることにしたなら、すべての経費と物資を完璧に準備したとしても、最も大きな問題が一つ残っていた。正確な地理情報を探すことは難しく、道を探すことに非常な難航があったはずだ。もちろん、折り畳んで持ち歩ける折帖式地図はあったが、地図そのものがめずらしかった時代だったからだ。

その頃は、どうやって道を見つけたのだろうか?

せめて、路傍に立てられたチャンスン(注: 村の守護神)に隣村までの距離が刻み込まれ、道を見つける助けになったのだろうか。あるいは、旅人の間に回り回る、ある村から次の村までの距離が明示された路程表を参照したのだろうか。木版で印刷されたものもあったが、常にあちこちを流れ歩いて行き来するので道をよく知っている商人などに聞いてメモしておいた筆写本も多かったということだ。また、子午針と呼ばれる羅針盤を持ち歩いて方位を判別することもやったりしていたが、道を探すことは本当に難しかったと思う。

しかし、このようなものだけで、正確な距離と方向を見つけることは容易ではなかった。最良の方法は、通常、そこに住んでいる人々に道を訊ねることだろう。この方法は今も同じで、漢陽都城を歩く前に、地図で一通り距離を推測することはできるが、直接歩いて道の真ん中で聞いて回って道を見つけるまでは、その道を正確に知ることはできない。

何より、日が沈みはじめると、ひとまず向かっていた道を立ち止まらなければならない。夜になると街灯があるわけでもなく、すぐに漆黒の闇になる。そういえば、当時のように空の輝く星を見ることはできなくても、今は、漢陽都城の素敵な夜景を見られるということが慰めになる。

あたかも、風灯のように村の家ごとに発せられる明かりと路地ごとの街灯の明かり、そして、漢陽都城の城壁を月光のように照らす照明が一緒になってホタルが四方に飛び回るような夜景がつくられる。

しかし、残念ながら、朝鮮時代の夜は、そのようなロマンとはかけ離れていたようだ。夜には、道をそれ以上歩いて行くことは大変だっただろう。いったん日が暮れると、四方はトンネルの中のように漆黒のごとく、真っ暗になり、獣の襲撃と盗賊の群れの奇襲を受けることもあった。

とくに、仁王山周辺には虎が多かったが、旧韓末まで、漢陽都城の内と外は、そこがどこであれ、虎の天地だったいう。

さらに、その朝鮮を旅していたひとりの青い目の旅人も行く先々で虎に関するありとあらゆる伝説と事件、事故を聞いたという。ある時は、とある宿に泊まったが、主人がオンドルをとても熱くしているせいで、つい息が詰まって戸を開けたという。ところが、その後、主人が慌てて走ってきて戸を閉めるのだ。そうすると、虎が入ってきて、事を起こすというのだ。

仕方なく、このかわいそう旅客は40度を超える部屋の中でかろうじて門風紙に穴を開けて息をしながら、長い長い冬の夜を送らねばならなかった。それでも、その人は日が沈み星と入れ替わった夜、障子紙の穴の間から今よりもさらに明るく輝く星の夜の中で眠っただろう。そうやって、深い夜空に輝く星の一つ一つを数える楽しみ、そんな旅の味。

星の一つ一つを数える楽しさ、そんな旅の味

旅に一度出かけると、山を越え、川を渡り、時には命をかけ、空腹は常のこと、自然災害に匹敵する環境の変化に向かい合って戦わねばならなかった当時を想像してみると、スンソン(城めぐり)の壮挙は都城の人々に大きな慰めになったように思う。

原則的には、願いをかける福を実現するためなら、全区間を途中で休まずに振り返ってみなければならないが、それこそ、歩く人の気持ちではないのか? もちろん、山の奥深くに位置する区間ではかさこそという音だけでちょっと僕も後ろを向いて山の獣が襲ってくるのではないかと警戒したが、結局は、すべて漢陽都城の内と外だった。

そのようなスンソン遊びの淡白だけれども深く身に沁みる魅力は久しくその時代の語り手となったようだ。そういえば、本来の旅というものは、単に新しいものを見て楽しむ遊びだけではないのではないか。思ったよりは馴染みの場所からさほど離れた距離ではなくても、十分に長い長い旅を楽しむこともできるだろう。

その半日の内に世界旅行をするように、それぞれが他の村の風景と四季を一式込めた景色が与える、小さいながらも大きな旅からの満足感をそのまま秘めたまま家に帰る道。

半日の内に世界旅行をするように

その新しくも平凡な道を歩く旅行者の心の中に、作られては、再び、壊されることを繰り返す思考の行路。そうやって、再び、自分のもとに一歩ずつ近づいてくる道。

ようやく本当の旅の始まりになるようだ。この辺は漢陽都城のどのあたりか、この道は僕がいつも通るソウル市内のどこに通じ、はるか遠い昔には、この道はあの道にも通じていたんだね... うなずいて歩きながら、こちらあちらとのぞきこみながら... また、行ったり来たりする途中で遭遇する人々と交わす話の中で、国土は人が持っている思考の軌跡を一つずつ剥がしていく。

そうして、しきりに自分自身を知って行くのではないのか? 今まで歩んできた道を振り返ってみながら、その誰でもない、まさに自分自身をさらに切なくて貴く感じることができるようだ。

スンソン遊びのそんなしっかりした魅力

そうして、平凡であっても退屈な日常のなかで、少しは自由で、時には興に乗って肩を踊りでくねらせる楽しみをスンソン(城めぐり)は、その長い間、毎日のように都城の人々に贈り物としてくれた。だから、あれほど長い間、その数多くの人々の心の中に思い出として残っていたのではないだろうか。

親の親が、また、さらに、子の子が共に歩いたその古くからの旧道は、だから、今もなお、漢陽都城の城壁に沿って流れる流麗な風の道を維持しているのかも知れない。

だから本当の旅の始まりは、漢陽都城の真ん中でその場に立ち、目を閉じて、いかなる風も受けてみること、風の中に染みわたる自分の声に耳を傾けてみること、また、その隙間に口笛のように聞こえてくる誰かの声を静かに聞いてみることから始めてみよう。そんな、のんびりとしながらも懐かしい旅を。

キム・ナムギル

「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城10人10色プロジェクト>の市民参加者、チャン・ウニョンさんが直接撮影した映像で『私、そして、漢陽都城』をテーマに制作されました」

写真と映像は、こちらでご覧くださいませ。
https://storyfunding.daum.net/episode/13235

「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城8話」はこちらです。
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キム・ナムギル、きちんと隠れている
漢陽都城を探せ

https://storyfunding.daum.net/episode/13292
by omasa-beu | 2016-10-15 23:31 | Gil-Story | Comments(6)

「アンサンブル」のバイオリニスト、クォン・ヒョクジュさん、突然の逝去

突然の訃報に驚いています。バイオリニストのクォン・ヒョクジュ(권혁주)さんが本日未明、滞在先の釜山で急逝されたということです。クォン・ヒョクジュさんを知ったのは、キム・ナムギルさんが製作した映画『アンサンブル』が最初でした。ちょうど4年前の釜山国際映画祭で上映されたことを思い出すとさらに胸が痛みます。その後、2013年には、クォン・ヒョクジュさんをはじめアンサンブルメンバーがナムギルさんと共に来日し、名古屋、大阪、東京の三都市で公演。私は名古屋と大阪に参加し、生演奏を聴かせてもらいました。演奏以外のトークでの朴訥としたお人柄を思い出します。

公演DVD。真ん中の男性がクォン・ヒョクジュさんです。
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今頃、天国への階段で戸惑ってられるかも知れませんね。どうか、安らかにお眠りください。謹んで、お悔やみ申し上げます。

下記の記事はKBS NEWSからお借りしてきました。元記事。


[Kスター]夭折した「音楽の天才」クォン・ヒョクジュは誰?

入力2016.10.12(16:13)|修正2016.10.12(19:36)インターネットニュース

バイオリニスト、クォン・ヒョクジュ(31)が、今日(12日)午前1時27分、急性心停止で死亡した。

クォン・ヒョクジュは今晩、釜山での演奏を控えており、タクシーに乗車している途中、死亡したまま発見された。クォン・ヒョクジュが参加することを期待された「ウム室内管弦楽団結成コンサートUnique Moment」コンサートは、無期限延期された。

故人の遺体安置所は13日、ソウル・ポラメ病院に設けられ、出棺は来る15日である。埋葬は未定である。

3歳の時にバイオリンを習い始めたクォン・ヒョクジュは6歳の時に音楽ジャーナルコンクールで最年少で大賞を占めており、バイオリンの天才と呼ばれた。 7歳の時に韓国芸術総合学校予備校に入学してキム・ナムユン教授にバイオリンを学んだ。

1995年に来韓したしたロシアの教授が彼の才能を認めて留学を勧め、クォン・ヒョクジュは11歳でロシア留学に旅立った。


クォン・ヒョクジュ、パガニーニのバイオリン協奏曲第一番第一楽章
ヒョクジュさんの演奏は、3分20秒くらいから始まります。

ロシアモスクワ中央音楽学校でエドゥアルド・グラツィエ教授に学び、実力を育んだクォン・ヒョクジュは11歳のときにチャイコフスキー青少年国際コンクールにて最年少で2位を占めたりもした。

以降、クォン・ヒョクジュは、モスクワのチャイコフスキー音楽院で勉強した。

2004年、デンマークのカール・ニールセンバイオリンコンクールにて、韓国人で初の優勝、同年ロシア国際パガニーニバイオリンコンクールで1位を占めた。翌年、クムホ・アシアナ文化財で授与するクムホ音楽家賞を受賞し、国内でも認められた。

クォン・ヒョクジュはモスクワ放送交響楽団、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演するなど、国内外で活発に活動し、過去2012年アニャン大学最年少教授として任用され、教壇に立つなどもした。

チョン・ヒェジョン

記事の引用は以上です。

パガニーニがお好きだったのか、2013年7月の大阪公演では、クォン・ヒョクジュさんのバイオリン独奏でパガニーニのカプリース24の24という曲を聴かせていただきました。ナムギルさんによると、この曲が作曲された当時、弾ける人がいなかったほどの難しい曲だったらしく、それを彼が自慢すると紹介のなかで話していました。天国でも、思いっきりバイオリンを弾いて、地球の私たちまで響かせてくださいね。
by omasa-beu | 2016-10-12 21:57 | キム・ナムギル(2015~2016) | Comments(0)
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♪ ♪ Kim Nam Gil Forever ♪ ♪  韓国の俳優キム・ナムギルさんが好きです☆映画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』7/29公開


by omasa-beu
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