おまさぼう春夏秋冬

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母の最期

母の最後の声を聞いたのがいつだったのか思い出せない。最後にどんな会話を交わしたのかもわからない。6年前のこの時期、職場から帰宅するのが待ち遠しかった。一刻も早く母の顔が見たかった。5月の連休明けから母は眠りつづけていて、こちらの声が聴こえているかどうかも定かではなかったが、私には生きていてくれるという事実が大事だった。

その年の正月の夜、母はトイレの前で転倒した。妹の言葉を借りるなら、バレリーナのように足を広げ、狭い廊下にへばりついていたそうだ。ステンレスの入った母の右股関節は普通そんなに開かない。階下のトイレは通常母と私が使っていたが、私はその夜、いつもの頭痛で寝込んでいて動くこともできず、母の異変に気がつかなかった。

「階下(した)でなんか変な音が聞こえるで」というオイの声で母はやっと発見された。真冬の寒い廊下で声にならない声を上げながら何時間も助けを呼んでいたようだ。上の階で扉を閉めていると階下の音は聞こえにくい。私は翌朝になってようやくその事を知った。

大腸癌から転移した肝臓癌のため、すでに余命を宣告されていた母はその夜から急激に介護を要するようになった。母は病名を知らされていなかったが、時折、私たちに疑問を投げかけた。当然だろう。母の身体なのだ。今でも、本当の病名を知らせた方がよかったのかどうか、私にはわからない。母はそういう現実に耐えられない人のように思っていたが、実際はもっと強い人だったかも知れない。晩年は入退院を繰り返す日々を送りながら、どんな検査にも愚痴をこぼしたことすらなかった。

「入院をしてもいいですが、病院ではもはや無意味な検査のために患者に負担をかけることになるから、自宅で介護できるなら、それでもいいでしょう」と医師は言った。幸い、往診してくれる医師が見つかり、自宅での介護が始まった。早朝と夜が私、昼間は専業主婦の妹が母の傍についているようになった。その年の4月から始まった介護保険のお陰で、毎日の訪問看護にも大いに助けられた。

ベッドの傍で、私はいつも母の右手を握りしめていた。
「お母さん、私、お母さんの子供に生まれて良かったと思ってるえ」
母の意識がある頃なら恥ずかしくて言えなかった言葉を今言わねば後悔するという想いにかられたのだと思う。母に私の声が聴こえたかどうかはわからない。ただ、母の右手が微かににぎり返してくれたような気がした。でも、実際は私の願望がそう感じさせただけかもしれない。

7月9日午前9時、私が傍を離れた一瞬に母は逝った。もうすぐ七回忌が来るというのに、母の話をすると未だ涙が出る。そこにいてくれるだけでいい、母親というものの存在の大きさを失ってみて初めて気づいた。ただ、母の右手の感触だけは今でも不思議なほど残っている。
by omasa-beu | 2006-06-30 00:48 | 日々のこと | Comments(4)

日本映画「Death Note」前編

<「デスノート」にその名前を書かれた者は死ぬ> 
「週刊少年ジャンプ」に連載されたコミックの映画化である。

夜神月(やがみらいと)は警察官志望の文武両道に秀でた見目麗しき大学生だが、法律や正義感だけでは現世にはびこる凶悪犯を裁けない実態に無力を感じ、六法全書を投げ捨てる。代わりに拾ったのが「死に神」の落としたデスノート。冗談半分に名前を書いた犯罪者が死ぬのを目にした月は犯罪者の名前をデスノートに書き続ける。

個人的にデスノートに名前を書きたい人物なんていないが、実際、昨今の残虐事件を考えると、法律で裁けない鬼畜どもなら、池波正太郎さん描くところの仕掛人・藤枝梅安に頼みたいという気にならないでもない。なんて書いている自分が怖いが、最初はデスノートにある種の共感をもって見てしまう。だが、らいとは自分に容疑がかかっていることを知ると、今度はわが身を守るため、罪のない人達をも殺害し、狂気の道へと踏み出して行く。

らいとを追いつめるのが天才プロファイラーとでもいうべきL(エル)。地の底で生まれたような白い肌。猫背、裸足。ソファーの上にネコのようにすわり、ネコのような手つきでケーキやパフェ、スナック菓子を四六時中食べている変人。こっちのキャラクターの方がよほど強烈である。

Lからの挑戦に勝つべく、恋人まで手にかける月。いよいよ二人の対決、というシーンで前編は終わる。後編は今秋公開予定だが、待ちきれない私は連載を読んでいたオイに結末を聞いてしまった。映画版はどう描かれるかわからないが、まだまだヒネリがありそうで楽しみ。

これはファンタジーの世界の話である。人命をコマにした天才と天才の頭脳ゲーム。死に神、デスノート、そんなものがこの世に存在するわけがない。だが、日々報道される狂気事件の犯罪者たちがが10年やそこらで世の中に復帰してくるという現実が物語に反映している気がするし、フィクションの世界で遊ぶくらいは許されるだろう。私は面白く見せてもらった。
by omasa-beu | 2006-06-29 11:45 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(0)

団塊のぼやき (9)いやだ、いやだ!

府民税・市民税の納付書が送られてきた。合計納税額は17,400円。これで、1年間、ゴミ集めをしてもらえるのだから有難いと思うべきだろう。もちろん、目に見えないところで、府や市のお世話になっているとは思うが実感がない。警察官を含めた職員や議員の給料にも充当されているのかしら。人並みに給料を貰っていた頃は府・市民税も相当払っていたけれど、源泉徴収されていたせいか、税金や保険料には今ほど関心がなかった。

確かに、保険や税金の納付書は頼みもしないのに、きちんきちんと届く。でも、税金の還付請求や年金などは自己申告しないともらえない。昨年、保険の切り替えに区役所に出かけた。国民年金と国民健康保険の窓口は隣り合っているが、担当者は別々だった。さきに年金の手続きを済ませた私はとなりの椅子に移るように言われた。その時、私の他に待っている人はいなかった。その指示に従った私も情けないが、どうして、同じ職員が年金と国保の手続きくらい一緒にできないのか。手続きそのものが職員本位に考えられているとしか思えない。こういうのをお役所仕事と言うのかしら?

今年はじめ、市議会のアルバイト職員の面接を受けた。市役所正面の受付とは別個にある市議会専用の受付には女性が二人もすわっていた。受付が二つあることにも驚いたが、誰も通っていない廊下の受付に二人も必要だろうか。結局、私は不採用だったけれど、どっちみち予算消化のための仕事だったかも知れないし、時給700円位で利用されなくてよかった。

27日の朝日放送「ムーブ!」では、京都市役所職員の不祥事オンパレードを報じていた。対策として挙げられていた項目もお座成りとしか思えなかったが、福岡政行氏の最後の言葉に私は市民税すら払うのがいやになった。財政難の折でも、公務員はリストラされることもなく、「60歳で退職金が3千数百万円はもらえるそうですよ」。額面通りだと、来年から再来年にかけて、京都市の財政はさらに厳しくなる。

退職金の額を聞くだけでムカムカしてきた。まだリストラ後遺症から脱していないのかも知れないな。
by omasa-beu | 2006-06-28 01:14 | 団塊の世代 | Comments(4)

アメリカ映画「風とライオン」

「ショーン・コネリー(Sean Connery)引退」という記事を見て以来、もう一度見たくってしようがなかった「風とライオン(The Wind and The Lion)」をDVDでやっと見た。

時は1904年。モロッコ在住のアメリカ人、ぺデカリス夫人(キャンディス・バーゲン、Candice Bergen)と二人の子供がリフ族の首領ライズリ(ショーン・コネリー)に拉致される。英、独、仏など欧州の飼い犬と化しているモロッコのサルタン(国王)をこらしめ、外国勢力追放のための聖戦に種族民の参加を呼びかけるためだ。もとより、夫人や子供たちに危害を加えるつもりはない。

時のセオドア・ルーズベルト大統領(ブライアン・キース、Brian Keith)は自国民を助けるという名目のもと、直ちにモロッコへ艦隊を派遣する。大統領選を控え、当時モロッコでは優勢を誇っていた欧州勢から覇権を奪う好機である。100年も前の物語なのに、世界情勢はちっとも変っていない。タンジールの知事公邸に早朝から堂々と奇襲攻撃をかけ、衛兵を皆殺しにしたうえで知事を捕虜にとるシーンに思わずイラクを重ねてしまった。

侵略者とは別の世界で生きるライズリ。黒いマントを翻しながら馬にまたがる姿は007の頃よりはるかにかっこいい。砂漠のなかをライズリの館へと向かう道中、夫人と子供たちはライズリの明快な男らしさに次第に魅了されてゆく。

エンディングが素晴らしい。「また会おう、ペデカリス夫人。風に乗る金の雲になってな」と満面の笑顔で立ち去るコネリー。馬から半身を乗り出しながら夫人の子供から銃を取りあげ、風のように去って行くシーンは繰り返し見てしまう。ショーン・コネリーの作品をすべて見ているわけではないけど、この映画が一番好きだ。

タイトルの意味はラストにライズリがルーズベルト大統領に宛てた詩的な手紙の中で明らかになる。世界中を蹴散らせて行くアメリカを風に、モロッコの土地で生きていく自分をライオンにたとえるライズリ。まみえたことのない二人なのに、敵味方を超え、一人の男として相手を意識している様が面白い。

実際はスペインで撮影されたようだが、朝焼け、夕焼けの砂漠のなかを馬で移動する一行の描写には胸が高鳴る。現実を離れた映画の素晴らしさを再確認させてくれた。淀川さんや水野さんではないけど、やっぱり映画っていいですね。大きなスクリーンで見たい。製作年度は1975年となっているから、最初に見てから30年も経っているのに、当時の感動はちっとも薄れていなかった。
by omasa-beu | 2006-06-27 11:40 | 映画、TV、本、音楽 | Comments(0)

線香立て

家事のなかでは掃除が嫌いだ。でも、汚いのはもっと嫌だからしようがなくやっている。そのなかで唯一好きなのが、仏壇の線香立ての灰をきれいにすることだ。お線香を立てたとき、灰に隠れる部分は燃え尽きないで残る。それが何日か続くと灰がかたくなり、お線香が立てにくくなる。母が生きていた頃、仏壇の掃除は母まかせだった。だから、どうやっていたのか今となってはわからない。

3,4年前、「ピュアラブ」という昼ドラが話題になったことがある。禅宗の若いお坊さんと小学校の先生の恋物語だった。ちょうど私が仕事を失った頃で途中から見るようになった。禅寺のシーンで、線香立ての灰を料理に使う裏ごし器のようなものでこしていた。家庭とちがい、いくつもの線香立てを使うお寺では、ひとつひとつ手で線香の残りかすを取り出すなんてことはできないだろうし、ああ、なるほどと感心しながら見たことを思い出す。

私は割り箸で線香の残りかすをひとつずつ取り出す。こういう単純な作業は私をいつも無心にさせてくれ、すべて取り除いたあとの滑らかになった灰が気持ちを清めてくれる。本来、掃除とはそうした効果があるのだろうが、家の掃除は物が多すぎ、始める前に気持ちが萎える。まずは部屋のなかに溢れているガラクタの数々から手をつけた方がよさそうだ。
by omasa-beu | 2006-06-26 00:22 | 日々のこと | Comments(0)

私は自転車パラノイア?

大阪一イケズの友達が自転車事故に遭った。自転車同士で出会いがしらにぶつかったらしい。友達だけが怪我をしたという。両膝のお皿のところが2センチも盛り上がっているというから後遺症も心配だ。だが、猛スピードで飛ばしていたイケズにも非があるが、相手のおばちゃんからはゴメンの言葉もなかったというから、どっちもどっちである。

散歩中、自転車には本当にイライラさせられる。自転車の取り締まり強化をしているといっても、今でも交差点を乗車したまま走っているひとが大勢を占めている。ルールなんか知らなくとも、多くのひとが歩いている交差点なら自転車から降りるのがまともな神経だと思うのに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」に通じるものがあるのだろう。

狭い道を自転車が通り抜けるのを道の端で待っている私など意に介さず、皆飛ばしてゆく。若者だけでなく、中高年もたちが悪い。たまにすまなそうに会釈を返してくれる若者に出会うとふっと心がなごむ。でも今はこういう子でも奈良の母子放火殺人のような事件を起こさないとも限らない。妄想が妄想をうみ、私の頭痛はやむことがない。

警察も取り締まりの強化をしているなら、徹底的にやってほしい。お座成りにやっているうちに大事故がおきてからではどうしようもない。それから、道を掘り返すなら、自転車専用レーンを作ってくださいね。政治家の皆さん、官僚の皆さん、お金儲けばかりを考えていないで、少しは国民の生活にも気を配ってくださいまし。

大阪一イケズのおKはん、お大事にネ。
by omasa-beu | 2006-06-25 01:56 | 日々のこと | Comments(3)

「卑怯を憎む心」

以前紹介した藤原正彦さんの「国家の品格」やその前に出版された「祖国とは国語」でも述べられているが、藤原さんのお父上である新田次郎さんの「価値観の筆頭」は「卑怯を憎む」だった。「卑怯とは生きるに値しない、というほどの重さ」があり、「大勢で一人をやっつけるのはこの上ない卑怯だ」と教えられた。

岡山県内で集団暴行のため二人が行方不明になっているという。私はこういう話を聞くたびに、怒りで胸が震えるのをどうしようもない。ひょっとして、前世で自分自身か身内が集団暴行で殺されたのかと想像するくらい腹が立つ。

これまでも集団暴行で犠牲者が何人も出ているけれど、加害者が未成年である場合には、ほとんどの場合(被害者が一人か二人なら)無期懲役刑くらいだ。私は集団暴行で殺人などを犯した場合は、人数や年齢に関係なく、極刑にしてほしい。こいつらは新田次郎さんの言葉を借りるまでもなく「生きるに値しない」し、更正の見込みなど考えられないからだ。

今は、行方不明になっている方たちがどうか無事であることを祈っている。
by omasa-beu | 2006-06-24 19:40 | 日々のこと | Comments(0)

9月大歌舞伎@歌舞伎座

日本列島が呪われているのか、次から次と気分が重くなる事件が発生する。このユーウツさから逃避したいせいか、昨日メールマガジンで知った「秀山祭九月大歌舞伎」(初代中村吉右衛門生誕百二十年)に心惹かれてしまった。初代吉右衛門は当代の松本幸四郎・中村吉右衛門のお祖父さんで、六代目菊五郎と並び賞賛される名優だったと聞く。

当事の映像を見ても、私には当代の吉右衛門の方がはるかに魅力的だし、生誕○○祭などはどうでもいいんだけど、この兄弟の共演は10数年ぶり。配役に多少不満はあるものの、久しぶりに東京へ行こうかな。今の私にぜいたくなのはわかっている。でも、来年の今頃はこの世のひとではないかも知れないし、なんて自分を甘やかしながら、9月までの夢を見ることにするか。
by omasa-beu | 2006-06-23 09:31 | かぶき・演劇 | Comments(0)

“たかが頭痛、されど頭痛”

今朝も頭痛で起きられなかった。眉間がきりのようなものでかき回されている。今週は2回目だ。以前働いていた頃は勤務の途中で頭痛が発症してくることも多かったが、仕事を辞めてからは起床時に限定されてきた。つまり、仕事をしていたときには、腹が立つことがあると文字通り頭にきて、それが頭痛の引き金になった。だが、体質なのか、毎日が日曜日の今でも頭痛の回数はそれほど減っていない。

「たかが頭痛、されど頭痛」とは東京女子医大の清水俊彦先生(脳神経センター・頭痛外来講師)が「文藝春秋2006年5月臨時増刊号特別版」に寄せられた文章のタイトルである。私は「全国慢性頭痛友の会」の<友の会だより>に転載されたものを読ませていただいた。慢性頭痛は従来生命に支障はないとされてきたけれど、決して軽視してはいけないという研究が欧米では報告されているということだ。

「片頭痛の患者さんは将来、脳梗塞に移行しやすいことがわかってきました。片頭痛は頭痛発作のたびに脳の血管周囲に神経の炎症が引き起こされるため、発作のたびに脳の血管に微細な損傷が加わります。したがって、生涯を通しての発作回数の多い人ほど脳の血管損傷が激しく、放置すると脳梗塞に陥りやすいとされています」と清水先生は書いている。

この炎症を抑えるための特効薬(トリプタン製剤)が入手できるようになっているのに、発売から6年経った今でも、それほど普及していないという。一つには、緊張型頭痛と混同され、普通の鎮痛薬を処方されていること。二つには、「我慢を美徳とする国民性」のため、病院に行かず痛みを我慢する傾向があること。

私の場合、トリプタン製剤のなかで「イミグラン」と呼ばれる薬の錠剤と点鼻薬の両方を常備しており、その折の症状に応じて使い分けている。医師の処方が要るが、これのお陰で生活の生産性がどれだけ好転したかわからない。

片頭痛患者のなかには、60歳以上になると発作がなくなるひともあるようだ。以前、元首相夫人の三木睦子さんが「片頭痛でガンガンする頭を抱えてお舅さんの介護をしていたのに三木首相が亡くなったあとは起こらなくなった」という意味の文章を新聞のコラムに書いていた。作家の五木寛之さんも片頭痛に苦しまれた時期があったようだ。素人考えでは、歳を重ねると共に血管も歳をとり、発作を起こす能力(?)がなくなるということかなと推測するが、片頭痛が起こらなくなれば老化を示し、このまま発作が起これば辛さは生涯持続するわけで、どっちにころんでも、寂しいような、悲しいような、複雑な心境にさせられる。
by omasa-beu | 2006-06-22 20:37 | ビョーキ(片頭痛、他) | Comments(0)

誰も責任を取らない!

光市母子殺害事件の上告審判決がおりた。最高裁は「(無期懲役)の量定ははなはだしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反する」としながらも、審理を広島高裁に差し戻した。何故ここまで断言しながら自ら判決を下そうとはしないのだろうか。

「人の命を奪ったら、自分の命をもって償う。これは当たり前のことだと思っております」と遺族の本村洋さんは語っているが、誠に明快な論理だと思う。先の「栃木リンチ殺人事件」にしても、極悪非道をしつくした事件でありながら、鬼畜2名は無期懲役、1名は5~10年の不定期刑という軽さだった。無残に命を奪われた被害者や遺族の無念さが晴らされないばかりか、鬼畜どもが10年そこそこで出所してくることで、私たちの中から新たな犠牲者が出る可能性に判決はお墨付きを与えたことになる。

上告審の判決後、被告の父がテレビ朝日「報道ステーション」の取材に応えている。「少年法というのは、これから先更正できるかどうかが一番大事なとこやないんですか。罪を憎んで人を憎まずって言葉があるが、これはまさに少年法に該当すると思うんですよ。罪を犯させるということは他の大人にも責任があったかもわからん」。は~ん?あきれてものが言えない。まるで他人事である。

殺人事件と同等に論じるのは申し訳ないが、日を同じくして報じられた日銀の福井俊彦総裁や民主党の松井孝治参議院議員にしても「残って職責を全うしたい」と言う。あなたたちがいなければこの国は立ち行かないのか? 司法が極刑から逃げていていいのか? 親が子供を放棄してもいいのか? ああ、また頭痛が起こりそう!
by omasa-beu | 2006-06-21 00:52 | 社会のこと(忘れてはならない) | Comments(2)
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♪ ♪ Kim Nam Gil Forever ♪ ♪  韓国の俳優キム・ナムギルさんが好きです☆ドラマ『名不虚伝(ミョンブルホジョン)』11/17からMNETにて放送開始!!


by omasa-beu
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