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カテゴリ:Gil-Story( 119 )

Gilstory ― 漢陽都城トークコンサート

昨年秋、漢陽都城を歩くためのオーディオガイドと地図を作成するための後援金募集がDaum Storyfundingで行われていましたが、そのリウォードのひとつである「漢陽都城トークコンサート」が、7月1日、下記のとおり、開催される模様です。(「私たちが作る文化遺産、漢陽都城」パーティ欄にて告知)


https://storyfunding.daum.net/project/8613/party/235115


韓国以外の居住者で後援金を送られた方は、最初からリウォード対象外になっていますが、トークコンサートに登場するナムギルさんをギルストーリーでレポしてほしいですね。


なお、開催場所のプラットフォームチャンドン61は、KONESTさまでも紹介されています。

https://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=16880



というわけで、下記の日本語訳は、ご参考までに。


파티(パーティ)


創作者 ギルストーリー

2017.06.09 23:00


お元気ですか? ギルストーリーです。

71日(土)「漢陽都城トークコンサート」を開催する予定で、5万ウォンのリウォードに参加された方々に出席の可否を確認する案内メールを送信しましたので確認をお願いいたします。


■イベント:キム・ナムギルと共にする「漢陽都城トークコンサート」

■日時:201771日(土)午後4時〜

■場所:プラットフォームチャンドン61 [レッドボックス]

http://www.platform61.kr/ ソウル市ドボン区マドゥル路11キル74

■内容:ソウル漢陽都城の歴史、文化、そして、私たちの話


5万ウォンの「漢陽都城トークコンサート」リワードに参加されたすべての後援者様を最大限に招待するため、参加が可能な方たちを先に確認して招待者を決定する予定です。後援者様の参加の可否を、614日(水)まで下記のメール宛、関連情報と一緒に送ってください。


下記の情報は、後援に参加するとき、ダウムのストーリーファンディングページに入力されたデータベース上に情報が欠落していたり​​、未記入だった方がおられ、データベース上に書き込まれた情報と比較確認のための要請いたします。


後援者様返信情報:後援者確認の際に必要な情報です。

1)後援者名(ストーリーファンディングに参加されたDaumID):

2)後援者ニックネーム(ストーリーファンディングに参加されたDaumのニックネーム):

3)後援金:

4)電子メール(ストーリーファンディングに参加されたDaumのメール):

5)実名:

6)携帯電話番号:

7)住所:

送信先のメールアドレス:team.gilstory@gil-story.com


さらに、5万ウォン以上の「度量が大きい後援」をされた方は、リワードは受けないと入力されているのでメールが送られていませんが、参加をご希望のスポンサーの皆さんは、上記の情報をメールで送信してくだされば、最大限、席を準備してみます。

614日までに送ってくださった後援者様の情報とDaumストーリーファンディングのデータベース上の情報を比較確認し、招待メールを再度お送りする予定です。ストーリーファンディング管理システムからメールを送信するため、後援者参加の際に使用したメールをご確認願います。


by omasa-beu | 2017-06-13 00:30 | Gil-Story | Comments(6)

Gil Story 更新「キム・ナムギルの娯楽室」

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©GILSTORY Photo by Namgil Kim


진정한 용서


대부분의 사람들은

나에게 잘못한 이에게 마음을 푸는

용서라고 생각합니다.


작가면서 신부였던 헨리 나우웬은

용서를 다른 관점에서 이야기합니다.


"용서란 모든 필요와 욕구를

상대방이 채워 주지 않더라도

지속적으로 받아주는 자세를 말한다.

나도 다른 사람들의 필요를 전부 채워 주지

못하는 것에 용서를 구해야 한다.

우리가 서로 하나님이 아닌 것을 용서해야 한다."


- '오늘을 부탁해(최성문 )' 중에서


ほんとうの許し


ほとんどの人々は

自分に過ちを冒した人へ気持ちを和らげることを

許しと考えます。


作家であり、神父だったヘンリ・ナウエン(Henri Nouwen)

許しを別の観点から語っています。


「許しとは、自分のあらゆる必要性や欲求を

相手がすべて満たしてくれなくても

持続的に受け入れてくれる姿勢をいう。

ぼくも他の人の必要を全部満たしてあげられない

ことに許しを求めねばならない。

ぼくたちが互いに神ではないことを許さねばならない」


-「今日をお願い(チェ・ソンムン著)」の中から



今月は、久しぶりに「キム・ナムギルの娯楽室」が更新されています。文章は、ギルストーリーのプロボノのお一人、放送作家チェ・ソンムンさんの著書からの引用です。昨年11月に出版されたばかりですが、ナムギルさんは著者から寄贈されてお読みになったのかも知れません。チェ・ソンムンさんの文章は、Creative LabFacebookでも読むことができます。


http://creativelab.gil-story.com/

https://www.facebook.com/artdreamlab/


更新は嬉しいですが、やはり、ナムギルさん自身の文章をお願いしたいものです。いつも思うことですが、ファンの欲望に際限はないですね。


by omasa-beu | 2017-02-02 21:27 | Gil-Story | Comments(4)

キム・ナムギルと漢陽都城10人10色 Ep.10(終)日本語訳

先日来、映画『パンドラ』のニュースを追いかける日々が続き、「漢陽都城1010色」の日本語訳は久しぶりになってしまいました。ナムギルさんの漢陽都城をめぐる随想は今回が最後になります。彼の眼と心を通して触れてきた漢陽都城は私にとっても懐かしい存在になっています。ただ、現実にスンソン(城めぐり)道を歩ける日が来るという確信を持てないのが今はすごく残念です。


いよいよ、今年も残り一日。元旦の抱負としてあげていた「歩く」が裏目に出たのか、9月十五夜のウォーキング以来、思うように歩き回れない日々が続いています。そして、まだ、リハビリ中の身。年々、回復が遅くなるのは仕方のないことかも知れません。でも、膝以外は健康ですし、食欲も人1.5倍(笑)。来年もネットの世界でお眼にかかれるのをナムギルさんとともに楽しみにお待ちしています。


本年も当ブログをご訪問いただき、ほんとうに有難うございました。熊本大地震をはじめ、世界中で災害の多かった2016年でした。でも、こうして、好きなひと、好きなことを語れる仕合わせにあらためて感謝しています。みなさま、どうか、よき年をお迎えくださいませ。


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©Gilstory


キム・ナムギル、未来につながる

漢陽都城の告白


2016.11.15 by 김남길キム・ナムギル)


https://storyfunding.daum.net/episode/14574


むかしむかし、歩くこと一つが呆れるほどにすごい少女がウォンジュ(原州)に住んでいた。一日中、庭の前を歩きながら、片手で本を持ち、四書三経をすらすらと暗唱した非凡な少女。元々、生まれた時から体が弱く、家にばかりいたので、父の書斎の本を一、二冊ずつ抜いて見る楽しさに退屈な時間を慰めたりしていた。


本の中に描かれた閨房の外の世界は少女「クムウォン(錦園)」を自由にした


そのため、自分が住むこの田舎の村がさらに小さく感じられ、家の外、その向こうの世界を見たいという熱望は、年々、広がるばかりだった。何より謙斎チョン・ソンの山水画帖に出てくる金剛山の美しい絶景、太白山脈から続く漢陽都城の風景を心の中に入れたかった。


刹那の瞬間でもその風景の中の一部として残ることができれば、それだけでも今生の意味があると考えていた。漢陽でも直接行ったことのある人が稀に見るものとした金剛山の絶景と四季折々その姿が異なる漢陽都城。その城の門の中へ入るまでをいつも想像した。


毎日のように新しい物語が生まれる漢陽都城のその果てのない話の中に歩いて入り、都城の真ん中を流れる清渓川に沿って路地のあちこちをのんびりと歩き回るという想像。もし誰の助けがなくても、自分の両足で漢陽都城まで歩いて行ければどんなによかろうか。


結局、その久しい夢を少女は実際に成し遂げる。自分が暮らす村の外に抜け出ることも珍しかったその時代、今やまさに十四歳になった陰暦春三月、頭を童子のように結って旅に出る。男装をしたまま、堤川、義林池を経て、金剛山、関東八景、雪岳山、そして、漢陽まで向かう道。そうやって、漢陽都城に着くまで、少女は歩き、また歩いた。


多くの山山を越え、その間、谷の小川に沿ったり逆らったり、下りたり上がったりを繰り返しながら出合った風景の数々を.. 少女とともに旅をしたかのように描いてみる。


ついに、その苦労の末にたどり着いた漢陽都城の門の前で少女は何を考えたのだろうか。つい感激して何の思いも出なかったかもしれない。あるいは、自分が考えてきたよりも漢陽都城というのがあまり特別なものがなくて失望したかも知れない。それとも、ただ、胸がいっぱいになっていたかも..


ただ、自分の力で、両の脚で正直に城の外をあまねく歩いて漢陽都城の中に入って来たのだから、どれだけすごいことか。そして、この好奇心旺盛な少女は城の内外に開かれている市場の見物を逃す訳がなかったろう。市場こそ、世の中の万物が集まる別天地ではないのか。


本が好きだった少女は清渓川廣通橋周辺に集まる策士(冊肆)や本屋(貰冊店)も見て回っただろう。この一瞬のために今まで文を習ってきたのだと自分で感心しながら..


小娘が文を学ぶことほどむなしいこともなかった時代だったので、現実には叶わない夢がただ未練として残り、胸が痛くなる日々が多いだろうということを少女もよく知っていた。


自分の両脚で漢陽都城を踏む瞬間が少女の人生には大きな支えとなったのだろう。


はや、クムウォンは雲従街(ウンジョンガ)の中心部にある鐘楼に向かう。漢陽都城に行ってきた人々が話していた市場の真ん中に、漢陽都城の大門を開いたり閉じたりする時を知らせる大きな鐘。今、彼女が立っている場所が都の真ん中だった。


さて、鐘楼の両側に六ヵ所の大店の六矣廛(ユギジョン)があるので、見どころや食べ物が一杯あるはずだ。その時からは、ひたすら口笛を吹きながら、足の向くまま手順なしにあちこちの通りを歩き回った。


通り過ぎる通行人の袖を引っ張りながら、いつのまにか物の値段の駆け引きをしている客引きたちも見える。空き地にござを広げ、通り過ぎる人々を大泣きさせる語り手にも出会った。少女もひとしきりその前の場所に座って話を聞いた。


遠くから五、六頭の仔馬が近づいてくる。紅顔の妓生たちが派手な装飾品をほどこした鞍の上に座って騒がしく過ぎていった。その込み合う道の真ん中で、そのまま時間が止まってしまったかのように、周囲の人々が本来よりも非常にゆっくりと見える。短い夢から覚めたように、その瞬間、少女は、そう遠くもない、自分の未来を考えていたのだろうか。


今回のこの旅で変わるものは何もなかった


母親のように妓生になったり、あるいは誰かの奥さんになって閨房の中で生きていくのだ。自ら選択することも、行きたいからと朝鮮を抜け出てさらに遠い旅はできないはずだ。


結局は、定められた女の人生に戻らねばならない。故郷に帰って荷物を解き、まげをほどいて、端正なチョゴリを身につけ、与えられたもの以外はわき目も振らずに生きなければならない。それでも、自分だけはずっと人生を記録するのだと、その名前が入った紀行文を書くのだと、心の中で繰り返す。


その後、彼女は故郷に戻り妓生となったが、クダン(?)の学者、キム・ドクフイの妾となって数十年が経った後、その時の行路を描いた「ホドンソラク記(湖東西洛記)」を脱稿した。漢陽都城の風景を自分の声で残したキム・グムウォン(金錦園、1817〜?)は、そうやって、実際に城の外から城の中へと向かった旅の道を文章に書き表した。


一つの的に命中する矢のように流れた時間


その本が雲従街(ウンジョンガ)の本屋に置かれたときから再び数百年が過ぎた。しかし、人生が尽きる間、悲しみは短く、喜びは長かった。だからその幸運に感謝するしかないという昔の人たちの毎日の告白を漢陽都城は現在の僕にまで語っている。


そのためだろうか。漢陽都城の道を黙って歩いていると、もう、すべて過ぎ去ってしまった普通の日々を想像することになる。まるで今この前の人生が実際に存在するとすれば、その少女の人生がすなわち僕の時間だったように一つ一つ描いてみるようになる。


そうやって、眼に見えても捕えられない昔の時間を開いて見られるのは二度の人生を生きることのように非現実的だが、今、漢陽都城に沿って歩く僕にはこんな夢のような事がよく起こる。


神秘な気運が土の中の深いところから噴き出てくるこの昔からの道


今はこの道の上で自分さえ理解できなかった自分に共感し、今後、次第に理解できるという自信が生じる。歩いても歩いても決して満たされそうもなかったすでに過ぎ去った時間への不信と来たるものに対する不安を慰めてくれているようだ。


そのように懐の深い漢陽都城は寛大にそのすべての異邦人たちに親しく応じてくれる。ただ以前に気持ちを分かち合ったその時その人たちのように懐かしさを募らせて僕をさらに切なく迎えてくれる。


そして、僕たち皆がたちまち漢陽都城の久しい友人となる。もう昔からここを通ってきたように情が移り、體城(注:城郭の胴体)の内と外を繰り返しぶらつきながら親しげに眺めてみる。


その温かい視線を精一杯楽しむ僕たちの漢陽都城。これからも温かく、優しく漢陽都城をなだめて見てくれるように、そうして、今、僕たち皆の愛で投影しとげた漢陽都城が未来につながるように願う。今日も漢陽都城に沿って歩きながら、この切ない夢が決して色あせないようにということだ。


by キム・ナムギル


「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城1010色プロジェクト>の市民参加者、キム・ジンスクさんが直接撮影した映像で『漢陽都城は〇〇だ』をテーマに制作されました」


上記、写真と映像はこちらをご覧ください。




by omasa-beu | 2016-12-30 12:43 | Gil-Story | Comments(10)

漢陽都城10人10色 エピソード09 日本語訳

今日の午後は、映画『パンドラ』のプレミアム試写会ですね。日本語字幕で観られるのが魅力。まして、鑑賞直後のナムギルさんとの出会いは格別ですね。ご参加のみなさま、胸いっぱいのすてきな時間をお過ごしください。


さて、『パンドラ』で多忙なナムギルさんを追いかけているうち、「漢陽都城1010色 エピソード」が8話でストップしてしまっていました。最初に言い訳しますが、今回の文章も難しくて、「ナムギルさん、海外のファンのことも考えて、もう少し、わかりやすい文章をお願いします」とお願いしたいくらいです(笑)


(お詫び)下記の文章ですが、文字フォントの大きさや種類が統一されないで表示されたりするので、見にくくて、すみません。管理画面では同じようにしているのですが、新しい管理画面になってから訳がわからなくて、困ったもんです。


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©Gilstory


キム・ナムギル、立ち止まらなかった

漢陽都城のように


2016.11.08 by 김남길 (キム・ナムギル)


https://storyfunding.daum.net/episode/14296


土の道を踏みしめる両足ですべての道がつながっていたとき、謙斎チョン・ソン(注: 1676 - 1759年)は朝鮮八道を流浪しながら峰を越え、野原や川辺に映る空を収めた山水画を好んで描いた。そして、漢陽都城は彼の絵のところどころに重要な背景として登場する。


それもそのはず、彼が愛した秀麗な自然の姿は、いかなる違和感もなく城壁を通して続く。あたかも眼に入る最初の風景のときめきをしっかり留めておくように健在であり、山の稜線と川の流れ、天と地の中に流れる彼だけのリズムを表現する


彼にとって漢陽都城を描写することは、すなわち、山水画を描くことだった。


仮に画幅に描かれる道がいずれかの区域に限定されても、漢陽都城を描いた彼の絵は両側につながる城壁と城門、そのアーチ(型の門)の中に入ると見える風景を想像させる。


謙斎チョン・ソンの絵の中の風景に屏風のように登場する漢陽都城は時間を重ねるごとに自ら深まり広がる。そして、自ら道を拡張させる。


車輪が付いた乗り物が登場する前までの道はいつも限られていたし、ほとんどの人々は、自分が生まれた場所やその周辺だけをしばらくの間行き来して暮らした。その限られた移動範囲内で、豊かな地図を描くことができたのは、おそらく旅の者たちが伝えてくる話を通してだったのだろうか。


一生の間、八道の勝景を探して絶えず旅をした謙斎チョン・ソンの物語


周囲が黄金色に染まっていくとき、腰を一度たりとも伸ばす暇もなかった一日を終えて屋根の下に家族が帰ってくる。もはや、灯りを一つつけておき、散らばっていた家族が、三々五々、ひと部屋に集まると溢れ出るまさにその物語..


親しい知人、あるいは親戚が、または、隣や向かいの知り合いが村の外に抜け出し、変化に富んだ山勢や天気をかきわけ、渓谷の合間の林道を渡った。すでに日が暮れて月が出ると、渓谷のすき間に身体をもぐり込ませるのだが、ちょうど、その一帯に陣を張っていた猟師に出あい、野ウサギの肉も相伴させてもらい、その人が語ってくれる向こうの村の話も伝え聞く。


そうするうちに、いつの間にか、話は遠くまで広がって、様々な伝説と朝鮮八道の噂で枝を伸ばして行くうち、二人とも睡眠につく。そして、日が昇ると、いそしんで旅に出る。そうして、情の厚いどこかの農夫の家に泊まることになり、主人が整えた膳で、その村の使道までが逃げてしまった幽霊の話を聞くことになる。


世の中、幽霊がどこにいるのかと、皆、作り話のいたずらだと大言壮語したが、訳もなく、亭主がこしらえた膳の前でほてった顔を隠すことができない。大の男が面目丸つぶれと、まるで気まずく過ごす数日。今はもう、再び漢陽都城から旅に出る時間である。


チャンスン(注: 村の守り神の像)の前まで見送りに出てきた主人の家の子供は、科挙の試験を受けた帰り道に再び立ち寄って城めぐり壮挙の話を必ず聞かせてくれと、眼を輝かせながら彼の襟をつかむ。この間、情が移ったのか、なぜか名残惜しく、親しく子供の手を握ってやった。


今度、城めぐりの壮挙をするときは、漢陽都城の風景を詳しく話してあげようと約束する


そうやって漢陽まで向かう道、多くの両班たちは田畑を売って数年を勉強しても、天の星摘み(注: 実現困難なこと)のごとく難しかった科挙試験を受けるため当代の数多くの青雲たちが越えて漢陽に向かう道。


あれほど曲がりくねった山を越え河を渡り、その遠い未知の場所に自分だけの切実な願いを込めて向かった漢陽都城のあらゆる旅客を考えてみる。道を行く間、それぞれの事情にさらに乗じられるまた別の話を仕込んで向かってみると、あの遠くに見える漢陽都城の城門の前でおのずと歓呼の声を挙げただろう。


そのときは、どれほど胸がいっぱいになったろうか?その一帯を巡察する巡邏軍(注: スンラクン。治安や防犯を担った人々)にでも出会ったなら、喜ばしく挨拶もして、これまでの苦労した事情を訴えただろう。ついに、漢陽を目の前にした感激、その歓喜の瞬間、まさに、その折に湧きだした感興を抱いて城めぐりを開始したのだ。


あるゆる願いを込めて丹念に歩いた城めぐりの道


礎だけが残った城門で、そして門は残っているが、都心の真ん中に囲まれたように寂しい風景の前で懸命に想像しながら、自分なりに昔話を頭の中に描いてみる。タバコをくわえた虎がゆっくりと話してくれるように、漢陽都城に行くまでに立ち寄ってきたあらゆる道の行路を話に込めて、心の中に書き連ねる。


そうして、自分だけの漢陽都城の話を作り上げながら、過去にこの場所を通って行った人々をありのままに感じてみる。あたかも、今、僕の前で生きて呼吸をする人のようにだ。


今こそ、その気になれば到達可能な漢陽都城だが、朝鮮時代には、今とは違い、行きたいと思って、その誰でもが簡単に手の届く道ではなかったのだ。当時、漢陽都城の中に住んでいた人たちも、その近辺と言える城底十里まで行くにも大きな勇気が必要だったのだから..


どれほどに感激しただろうか


あらかじめ見当すらできない、その遠くて険しい道を回りまわって漢陽都城の城門近くであることを知らせる巡邏軍に出会うとき、城門のアーチの中を通過するときは嬉しかったはずだ。城門の間に開かれる城の中の道。漢陽の風景ももの珍しかっただろう。


その頃は、ちょっと城門を開閉する時間を逃すと、都城の中に入ることさえできなかった。今は彰義門の案内所区間の季節別開放時間だけを注意すれば、漢陽都城を出入りするのは自由ではないか。案内(?)、その当時の人々よりも、漢陽都城の夜景を心ゆくまで享受することができるから幸いだ。


塀を越えたりしなくても城壁に映る星の夜の風景を限りなく見ることができる。その頃よりも風景は不完全であり、漢陽都城上に広がる無数の星を一つ一つ数えるのは難しくても、そのまま新たな趣を見せてくれる漢陽都城に僕たちはいつでも会うことができる。


昔とは大きく違ってきたが、今の僕たちにもそれなりの有利な面がある。


だから、まだ、そこにいてくれて有難いと夜が明けるまで漢陽都城に話しかけてみたい。世界のどこを旅しても、漢陽都城ほど特別ではないのだと言ってあげたい。そして、心ゆくまで何度も告白したい。



漢陽都城の風景の中に込められた

ソウルは深い


キム・ナムギル


「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城1010色プロジェクト>の市民参加者、パク・クォンさんが直接撮影した映像で『流れ』をテーマに制作されました」


写真と映像は、↓でご覧くださいませ。

https://storyfunding.daum.net/episode/14296


「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城11話」は↓です。



キム・ナムギル、粛靖門(スクチョンムン)から

その後も久しい間


by omasa-beu | 2016-12-04 13:13 | Gil-Story | Comments(6)

Gilstory FB 更新

12월이 시작되는 오늘,
반가운 뉴스로 아침을 시작해요!
우리가 찾는 길, 그 길을 걸으며
이 길에서 만난 사람들과 오래오래
다정한 마음을 나눌 수 있기 바라요~
길스토리의 '길이야기: 길을 읽어주는 남자'
문화예술 캠페인은 이후로도 계속됩니다~

12月が始まる今日、
嬉しいニュースで朝を始めよう!
私たちが探す道、その道を歩めば
この道で出会う人々と久しく
やさしい想いを分かち合うことができるよう願います~
ギルストーリーの「道の物語: 道を読むひと」
文化芸術キャンペーンは今後も続けられます~

というわけで、その「嬉しいニュース」とは次のギルストーリー代表としてのナムギルさんの記事です。

골목길・성곽길...140개 이야기로 풀어 읽어주는 배우
路地・城郭の道...140話の物語を展開し読んでくれる俳優


今、全文を訳す余裕がないのですが、ほぼ、代表として今までに表明してきた考えと変わりはないようです。
目新しいものとしては、先のクラウドファンディングで集まった後援金は1900万ウォン余となっていますから、ここには、海外からの後援金も含まれているように思われます。また、毎月、32,000人ほどがHPを訪問しているようですから、これも嬉しい話です。

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最後に、Vogue TV のナムギルさんです。

では、みなさま、元気で楽しい12月を!
건강하시고 즐거운 12월을 보내세요!
Have a healthy and happy December!


by omasa-beu | 2016-12-01 12:34 | Gil-Story | Comments(4)

漢陽都城10人10色 エピソード08 日本語訳

こちらの記事はお久しぶりになってしまいました。ご本家はすでに10話まで完走されましたので、残り3話も遅れがちですが追いかけていきます。


エピソード03で紹介されていた「城底十里」という呼称を覚えてられますか。


昔の地図は都城を基準に成り立っていた。当時、漢城(ハンソン)を行政区域上で漢城府とも呼んでいたが、漢城の外の地域を包括して呼ぶ言葉だった。すなわち、当時、都城の中と都城の外の「城底十里」までが漢城府の管轄区域であった。「城底」は、城の内部、あるいは、城の外を示す言葉であり、十里は、城門を基準に約10里(4km)の距離に該当する地域を指す。


今さらのことを書いているのは、先日観たドラマにこの「十里」という言葉が出てきたからです。


2013年韓国MBCのドラマフェスティバルの枠内で放送された単発ドラマ『不穏』という時代劇。成宗の時代。山中で変死体が発見されます。漢城府の管轄かという場面で、「城壁から10里以内なので、漢城府の管轄になります」という台詞が続き、ああ!とナムギルさんのエッセイを思い出した次第です。ドラマ自体は、両班の妾の子として生まれ、漢城府で官吏として働く一人の青年の切ない物語ですが、こういう単発ドラマもいいものです。


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©Gilstory


さて、エピソード08の日本語訳です。今回は、文中にも出てくる熱河での日記(熱河日記)を残している実学者、朴趾源(パク・ジウォン)<注: 号は燕巌(ヨンアム)、1737-1805>を思い描きながら記されたエピソードです。



キム・ナムギル、友人たちの

スンソン(城めぐり)遊び


2016.11.01 by キム・ナムギル


https://storyfunding.daum.net/episode/14047


昨夜の月が明るいので、パク・チェガを探して家に連れ帰って来たのですが、

留守番をしていた子供がこう言ったのです。

風采が良く、ひげを生やした両班が黄色の馬に乗って来て、壁に文字を書き残していきました。


それで、灯りに照らしてみると、まさに、君の文字です。

客が来たことを知らせてくれる鶴がいないことを残念に思って

門に文字を書く鳳凰がいることを喜びに存じます。


すまなかったね。

今度、月がとても明るい夜には外出しない所存です。


パク・ジウォンが親しい友のホン・デヨンに送った短い手紙。今見ても、行き交う道をすれ違ったことを惜しむ気持ちが明らかだ。自分がちょっと近所に飲みに行っている間に訪れた友が無駄足になって帰ったことを知り、すまなく思うその気持ち。その明るい月夜をむなしく過ごせないほど、彼らは互いが互いを懐かしんだ。


昼も夜も本ばかりを読んでいて、今が何時かも知らなかった燕巖(ヨンアム)パク・ジウォン。朝鮮の英祖と正祖時代の間に生きた実学者であり、小説家だ。今の鍾路(チョンノ)にあるタプコル公園に集まり、しばしば友に会い、友情に生き友情に死んだ希代の愛に満ちた学者、パク・ジウォン。


生涯の友人たちと人生の喜怒哀楽を享受しながら生きようとした人


そんな彼なら、果たして誰とスンソン遊びをしたのか? おそらく朝鮮八道のいろんな人たちと一年に幾度もスンソン(城めぐり)を踏破したようだ。市場に出て、老人や幼い芸人、商人など、様々な人と会って話をしながら子供の頃から経験したうつ病を治した人並みはずれた少年だったからだ。


彼自身が人生の全盛期としていたタプコル近く、漢陽都城の中で暮らしていた時代、失業者として貧しく暮らしながらも南山や漢陽都城のあちこちから訪れる友人たちと話をするので、一日中暇という時は少なかった。それほどに、生涯を人々に心という心はすべて開き与えた情の厚い人だった。


ともに本を読みながら学問や酒を交わした友人たち。ともに、より良い世界を夢見た話はそうやって四季折々の終わりを知らずに続いていたのだ。そして、互いに集まるときはいつも、ひとしきりふんわりと舞を舞う興深い彼らに漢陽都城はその秀麗な風景を誇りながら誘惑をしていたのだ。


その深くも深い友情の道


もしかしたら、その時代、毎日のように会ってともに酒を交わした友、トクボ(ホン・デヨンの別名)とともに巡邏軍(スンラグン)を避けて塀を越えたのかも知れない。常に、朝鮮の空と星座、この宇宙の運用について目を輝かせながら語っていたこの天真爛漫たる親友と一緒なら、城門がある丘のてっぺんで夜空の星を数えながら時間が経つのを知らなかったようだ。


生涯を漢陽都城を眺めながら暮らしていたが、深い山中の遠い城の外、燕巖(ヨンアム)村へ逃げるように追い払われた時代、その門を出て漢陽都城と別れるとき、彼は何を考えていたのか? もう春が来て鳳仙花の花が撒かれた漢陽都城の道を散歩することもできず、どんなときでも、ふらりと家を出てやっていたスンソン遊びをすることもできなくなった。


燕巖(ヨンアム)村での多くの日が過ぎて、その寂しい思いが疲れて行くとき、それほどに行きたがっていた漢陽都城の外の世界に旅したパク・ジウォン。彼が遼東の原野を越えて清国の熱河へ行く道の上で空腹を我慢しながら仮眠していたときを想像してみる。


漢陽都城のあちこちに宝石のように刻まれた逸話が一度に押し寄せてきたのだ


おぼろげな夢のように、その昔のタプコルで友たちとの時間を甘い眠りのように夢見たのか。日夜、親友たちと話をし、漢陽都城の内外を遊覧していた時代を懐かしがっていたのか。漢陽都城のどこにでも通じる城門とその間に流れゆく城壁に沿って変わる節気を感じることができた祝福された瞬間も、その都度、毎回変わる風景をいただいて歩くスンソン道も、そのそばにいつも登場する懐かしい旧友たちの姿も出てきたかも知らない。


熱河に到着するやいなや、その独特の親和力で見知らぬ人と長年の友人のように過ごしながら、夜も昼も、筆談を交わすときも、世の中の万物すべてのものの話の中に、明らかに彼が置いてきた漢陽都城の風景が込められていたにちがいない。


その記憶に盛り込まれた漢陽都城の四季、城門の近くに出る市場、そして、その小さな抜け道を行き来する人々の愛らしい姿の一つ一つがすべて彼の話の中に込められていただろう。遠い異国の地の新しい友が聞くことも見ることもできなかった遠い国の神秘的な漢陽都城の姿を頭の中に描いてみたはずだ。


朝鮮のどの村から来たのかと問うと、その筆頭に続く故郷の話


考えがここまで及ぶと、どの場所の風景であれ、あるがままに剥製して生きていたような文章家だった彼が当時の漢陽都城について残した随筆が隠れていたらどうだろうかという気がする。それがない場合は、多くの文集の中に友と一緒にしたスンソン遊びが盛り込まれた一片の詩句を発見することができたなら、どうだろうか。詩の中に絵があり、絵の中に詩があるという漢陽都城とともに過ごした人々をもう少し鮮やかに記憶することができるようだ。


そうやって記憶する人生はいつも豊かであるはずだ。いつもの話はまた別の話を紡ぎ、最終的には、その話を愛する人のところで染まって自然に他の時空間を贈ってくれるからだ。だから、おそらく、人生をきちんと生きる方法があるなら、彼はともに心を分かち合いながら、末永く話をする知己を持つことだと語ってくれそうだ。


長い長い会話をしあえる友とともに歩く漢陽都城の道


出会いの中から湧き出る文を認め、自分との長い長い対話を続け、完結した人生を生きたパク・ジウォン。彼がもし時代の風雲児であるとすれば、彼の才能のためでも、名門の権力者の一員として大変なこともなく生きた運命のためでもない、友たちとともに過ごしたそのすべてのささやかな瞬間のためだろう。


痛みとともに鬱憤を吐き出し、喜びにともに満ち足りて、漢陽都城に咲いて散ったすべての風景を同感する僕の大切な友。皆の友達ではなく、非常に私的な僕だけの友達。そうして、ともに末永く終わらないような長い長い会話をしあえる友とともに歩く漢陽都城の道を想像する。


叙事があるらし


年ごとに変わり、季節ごとに変化するスンソン道を何も言わずに歩いても虚しくはない僕たち。君と交わした普通の会話が十年を見聞きして学んだすべてのものよりも勝っていることを後々まで告白できればいいと思う。


ある瞬間、満たしても満たしても、がらんと空いているような時間の中にとどまることなく、漢陽都城のスンソン道で友たちと長い長い出会いからあらゆる話を自分の中で作りだしたパク・ジウォン、その人のように、僕たち皆がそんな話がある暮らしを築き上げたいと願うようになる。


それだけが久しい時間が経った後も決して空虚にならない記憶で人生を完結させるほぼ唯一の道ではないだろうか。今後、この情の深い漢陽都城の道で互いが互いを尊敬するとともに、敬慕することができるような高恩ある友になるよう願っている。


キム・ナムギル


「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城1010色プロジェクト>の市民参加者、イ・ガングさんが直接撮影した映像で『スンソン遊び』をテーマに制作されました」

写真と映像は、こちらでご覧くださいませ。


「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城11話」は↓です。

キム・ナムギル、粛靖門(スクチョンムン)から

その後も久しい間


by omasa-beu | 2016-11-19 18:03 | Gil-Story | Comments(6)

漢陽都城10人10色 エピソード07 日本語訳

膝の筋トレのために通い始めたトレーニングジムは、一方の壁が一面の鏡になっているので、ふとした時に嫌でもわが姿が眼に入ってきます。


「あの鏡、おかしい!」


ブティックの姿見などは、心持ち、細く映るようにしつらえられていると思いますが、このジムの鏡は、その逆バージョンのようだと、とっさに感じてしまったのです。しかし、冷静に考えると、それは実像。歩き回れなくなってからのたった1か月半の間に、ますます肉がついてしまっていたのです。体重そのものはそれほど増えてはいないのに、観た眼は最悪。いつもいつも思うこと。こつこつと何かをし遂げる場合の努力はいい結果を生むけれども、逆も真なり。膝のためにも減量は必須事項。特効薬は、ナムギルさんの来日情報かも知れませぬ。


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©Gilstory


さて、エピソード07の日本語訳です。漢陽都城プロジェクトに際して、ナムギルさんは、途切れた道を探して歩くだけでなく、相当、いろんな本や資料を読んでいることがわかります。今回は、若くして人生を終えたひとりの文人を巡ってのエッセイです。


キム・ナムギル、過去と現在、そして、未来につながる人生


2016.10.18 by キム・ナムギル


ソウルの南大門あたりに暮らし、生涯に特別なこともなく、文章を読み書きしながら短い人生を生きた21歳のひとりの士大夫。1775年元旦に文章を書き始め、彼が十年以上認めてきた数十冊の彼の特別な日記。僕は漢陽都城を歩くたび、彼の日記を思い出す。


その長い時間の間、日のようにした面の告白と過去と現在そして未つながる生活を描いた彼の日記。そうやって自分が生きた時代を次世代につないだ彼は、文章を書くのと同じくらい、こまめに旅に出かけたという


朝鮮時代にはをしようとすると、あらゆる苦労をせねばならなかったはずだが、「旅」こそ世の中でそんなに楽ではないはずと思っていたこの特別な学者はいつも一人でき回っていたそれも何の目的もなくあちこち高尚な場所、卑しい場所のえり好みなく、朝鮮の土地の上をかけずり回った。そうやって直接となった


緑のセリが柔らかく咲き誇り、わらぶきの家の塀を取りむ安岩洞、カササギが姫垣の上を行き来するたびに、その足の裏につく桃の色で満開になる城北洞、雲ひとつない星の夜ホタル月光りで薄明るい清渓川など、彼の描は今の都城の壁に昔の漢陽の姿を生き生きと投影させる。


その内密な街の土の匂いが出る風景


そして、彼が描いた風景は、その時代の公式記とも一致する部分が存在する。正祖王が還宮した日、南大門で王見るために多くの人が集まってたという。この日の「日省というには、正祖見物する人暮れ互いに踏み合う事故が起こるのを懸念して南大門と昭義門を閉めずに夜間通行禁止も解除せよとの指示もあったという。


そして、この日の記を彼もしたという。おそらく、その日彼も王の行幸を見に家の近く南大門から王の輿通り過ぎるのを待っていたのだ。そして、その場にいた灯りの下に映るの表情さえ見えるように書こうとした


そのほかにも、彼いた漢陽都城のと外の旅路はいつも詳細であり、だった。おそらく彼にとって、都城と外を旅するすべての過程は、また別の書きものだったのだ。心の中にそのどんな色や形もなく、散する塵のように漂う思考や感情を集め整理しようとした漢陽都城のスンソン(城めぐり)道。


その時期、病気の子供や家の心配で重い気持ちを楽にできないまま、ふさぎこんで家に帰る道。やがて、漢陽都城に入る城門に向き合う頃、泊まることになった居酒屋。そのそばの垣根には、彼の好きなハマナスが見事に咲いていたという。


そしてその瞬間、実に不意に、やりたかったことを繰り返し考えるようになったと告白する。「今とは全く違う姿で世の中に隠れている物語を探し回って、それを書き記したい」ということだ。


異なる時空間を持っている漢陽都城


それほど、どこであれ、歩いて、立ち寄ってみながら、自らとの対話を愛した両班。そんな人なら、スンソン(城めぐり)という壮挙をする季節が変わる間にどれほど歩んだのかを想像してみる。少なくとも、季節が変わるたびに出かけたのではないのか?


節季ごとに変わる城郭の下の風景だけでも他の時空間にいるような勘違いをする漢陽都城だけれども、すでに、あり余る秘境を持っていたとしても、いつまで、この都城の中だけに閉ざされて姫垣のうえを走り回りながら、遊ぶカササギだけを見物するうちに、この人生すべてが終わってしまったらどうしようと焦ったりすることもあったという。


200余年前の朝鮮でも今日でも、人が暮らす世の中は似たようなものか、自分との戦いと和解を繰り返す内に、自分自身を憐れむ彼の告白は日記の中に生き生きと残っている。ある部分は、見る人が皆、胸が痛み、垂れた肩を叩いてあげたいほどだ。


あなたが生きていた時空間に込められたそのスンソン道がうらやましいと、天運をもって生まれたのだと語ってあげたい。あなたもそれを知っていたのかと、すでにその話の中に残る漢陽都城の土の道がどれほど美しかったのか。。すでに彼の両の眼に収めていたはずだから羨ましくてしようがないと、今さら途切れた漢陽都城を全部復元することもできないというわけだ。


過去と現在、そして、未来の繋がりの輪


日記を書いた人。大丈夫だと言うには、大丈夫ではない日にも、幸せだとあえて声に出して告白するには恥ずかしい日々にも、進んで自分が存在するその場で日常を記録した誠実な作家。彼はさほどに極めて私的な経験を記憶して天が与えた命を全うしようとした「欽英(흠영)」を書いた「ユ・マンジュ(유만주)」である。

(注: ユ・マンジュ 1755~1788


今もなお、漢陽都城のスンソン道に漂っている彼の時間、その人が見たその時代の漢陽都城を共に想像してみる。彼が歩きながら昔の時代をたどったように、語っていた都城の内と外の記憶を今の漢陽都城に重ねてみる。


いつの間にか、とうに消えてしまったものとの鮮やかな対話が始まる。そんなにもちっぽけな生の美しさ。そうして、今日も漢陽都城が送る風の道から聞こえてくる昔の音に耳を傾ける。漢陽都城を通して自分との繋がりを望みながら...「現在とは全く違う姿で世の中に隠れる話を探し歩いて、それを文章に書き記したい」と僕もまた願うのだ。


キム・ナムギル


「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城1010色プロジェクト>の市民参加者、キム・キョンスさんが直接撮影した映像で『繋がり』をテーマに制作されました」


写真と映像は、こちらをご覧くださいませ。




「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城10話」はこちらです。


キム・ナムギル、仁王山を

越えて彰義門へ


by omasa-beu | 2016-10-30 14:35 | Gil-Story | Comments(4)

漢陽都城10人10色 エピソード06 日本語訳

21日午後2時過ぎ、突然、鳴り響いたスマホからの警報にはびっくりさせられました。スマホ画面の「鳥取県で地震発生」の文字から一瞬遅れてやってきた揺れは最近では比較的大きいものでしたが、それでも震度3程度でしたから、鳥取県中部に発生した地震の大きさを思い知らされるものでした。

被害に遭われたみなさま、避難中のみなさまに普段の生活が一日も早く戻りますよう、心から願っています。

日本列島は、もはや、地震に関しては安全な場所はないように思いますが、今回、好きなように歩き回れなくなってみると、いざという場合、何の役にも立たないどころか、自分自身が逃げることもできないとつくづく感じています。身体の不自由な方やご年配の先輩方、幼いお子さんをお持ちの方のご苦労を今更ながらに実感させられることになりました。

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©Gilstory


さて、エピソード06の日本語訳です。今回のタイトルにある「어울림」という単語には、「調和すること、釣り合うこと、交わること」などの意味合いがあるのですが、もひとつ、しっくりこないので、大雑把な意訳をしてしまいました。ナムギルさんが意図するところは、最初のパラグラフに記されているかと思いますので、どうか、ご了解ください。

キム・ナムギル、漢陽都城と共にあること

2016.10.18 by キム・ナムギル

https://storyfunding.daum.net/episode/13476

「調和する」という言葉のように温かな言葉がまたとあろうか? ある時空間に共に存在するすべてのものが互いに調和をなしてひとつの風景を作り出すこと、すでにそれ自体で十分であり、趣がある。

ある春の日の朝早く、興仁之門を出た茶山(タサン)こと、丁若鏞(チョン・ヤギョン)。彼が生きていた時代には明らかに一つも欠かさず繋がる都城に出合うことができただろう。「4月7日早朝、興仁之門を出ると - 都城の門を出るたびに喜びがあふれ、天と地が寛大に抱いてくれるように、遠い水路は朝焼けに輝き、山々は春の日の美しさを誇る。(與猶堂全書から)」

4月7日早朝、興仁之門を出ると

漢陽都城を完全に享受することができる特権ではなく、特権を持っていたその時代の人々がたまらなく羨ましくて、たちまち癪にさわってくる。到底、直接その時間のなかに生きていなくては、到底、推し量れないだけの雰囲気が欲しくなる。いっそ、知らないほうがよかったことを、そのまま、通り過ぎて行くことを.. スンソン(城めぐり)をしてみると、ある瞬間、そのような感情が訪れる。

もちろん、過去の時空間を想像すること、そこで、現在に再現し上げることは不可能ではないのだ。多くの人がそのことをやってきたし、多くの小さな成功はいつも積み重ねられてきた。しかし、単に歴史的事実に関する研究と文学的想像だけで表わすことができない余白も確かにある。

猫が昼寝の後にのんびりと全身をぶら下げて伸びをするときのように、その柔軟な身振りで山並みをよじ登る城壁の姿だけは到底復元することができない。どうしても、その風景はそのとおりに再現されることはできない。

考えてみれば、僕たちはただの一度も完全につながる城郭を見たことはない。伝説のように、ただ、話を伝え聞いただけだ。虎がタバコを吸っていた時代、すごい昔むかしにはそうだったようだが..

その時はそうだったって..

漢陽に喜ばしくも調和していた都城、城壁から城壁をつないでいた城門、その天井のアーチのなかに描かれた鳥と龍を覆い隠す内側は草花や木々。都城のそばの森の草むらに隠れた虎、山ウサギ、カササギやカラス。そして、また、城門の敷居の下、土の道に生じた草履の足跡。そうして、城門から城門にそのまま続いていた叙事を完全に享受していた昔むかしの都城の人々。

しかし、今はあまりに多くの時間が流れてしまった。城壁と城門は互いに調和してはいない。つながっていない。神話の中の伝説のように標石だけが残っていたり、偶々、城門が残っているとしても、道路の真ん中に無人島のように孤立し、ぽつんと取り残されている。時たま、山の奥深くに残る城壁は完全に城門と共に保存されてあっても、すでに、その頃と同じ道ではあり得ない。

いくら想像してみても、実際に見て感じたものでさえないのだ。本来なかった道でも、作って頭のなかで数限りなく描いては消してみたりを繰り返す。城門が位置していた跡地に建てられた標石でも写真に残しながら、自分なりに残念な思いを慰める。

アスファルトの道路に、コンクリートの建物に城壁が途切れると、つい、台無しとなる。こんなときは、あえて、昔の漢陽都城の城郭の道を探すのが何の役に立つのかと懐疑心さえ生じる。スンソン(城めぐり)を続けてみると、間違いなく、いつかは訪れてくる何故か悔しいこの思い。

昔の漢陽都城の城郭の道を探すのが何の役に立つのか

それでも、もう少しその場にとどまって理由がわからない喪失感を静めてみると、こんな感情を先にもっと深く経験した世代がいたということを思い出させる。1928年、その年の秋、団成社(注: 映画館)で歌手イ・エリスが歌って大ヒットし、全国に広がった「荒城の跡」を聴いてごらんなさい。

当時の京城を揺るがした最高のヒット曲「荒城の跡」。廃墟となった高麗の古い宮跡を訪れ、寂しい感慨を告白する歌。城はすでに崩れて空き地である。廃墟を訪れた旅人は一人で眠ることもできず、もの悲しい虫の声だけを聞く。ひとりぼっちの旅人と失われてしまった漢陽である京城、解体された都城は、実に似ている。

(注: イ・エリスさんの歌はこちらでお聴きになれます)

いつの間にか、城門を朝夕に開閉し、城門を守り、面倒を見て、大事にしてきた人たちは形もない。城門が撤去され始めてから、その数年の間、漢陽が城郭都市だったという事実さえすべて忘れてしまったようだ。そして、このもの悲しい歌が発表される数ヶ月前、東亜日報に連載された「九門八字打鈴」には、その序文で、それこそ捨てられた高麗の古い宮殿のような都城の運命を嘆いている。

「昔のソウルは廃墟に戻ります。(中略)城が崩れるのと同時に、門楼も自然衰退してしまいます。幸い、東大門、南大門はそのまま老いて黒くなった顔に白い白粉をつけて、病身の状態をとりつくろって座っているだけ、その残りはすでにいつかの年に死んでしまったのか、屍すら見つける方法はなく、痕跡なく、行ったり来たり、いくつかのものがまだ残っていると言っても、幾日かのうちに同じ運命をたどるようです..」

守り、面倒を見て、大事にしてきた人たちは形もない

当時、首都を取り囲んでいた自然な繋がりは途切れてしまった。表面上、都市計画のために都城の門を解体するなどという名分を立てたが、1899年、敦義門 - 清涼里の間に初めて電車が開通した際にも城門は手を付けなかった。その時は、軌道を城門内に通過させることで、城壁の破壊を避けた。

1902年には、崇礼門と敦義門の丹青を新たに塗ったりもした。しかし、1907年、高宗が強制的に退位させられた直後、日本の圧力で設置された城壁処理委員会によって、崇礼門の左右の城壁が撤去され、都城は、解体の道を歩むことになる。

いや、何、つまり、人が暮らすことはすべて同じさ。都市を近代的に再整備するのがどんな大変なことになったとしても、時代が変わったと言う人たちもいただろう。自動車が初めて朝鮮の街に現れたとき、その音が出す怪物に驚いて気絶した人たちが多かった時期も経て、皆、その自動車を現代の文物の象徴と感じて乗りたいと思ったというのだ。

1924年、当時も漢陽都城はすでに色あせた遺物だったかもしれない。ほとんどの人々は、また、そのように自然に受け入れていたのだ。それでも、当時の人々は、比較的近年まで、漢陽都城の本来の姿を覚えていたのだろう。だから日常に追われて常に振り返ってみることはできないにしても、その思いは切なかったと思う。

ある瞬間、当たり前のように繋がっていた城壁が当たり前のように途切れてしまったので、子供の頃、城郭に沿って漢陽都城の風景を見下ろした記憶でも浮かんでくると、さらに空虚に感じられるのだ。すでに消えた城壁を想像して再建されても、素晴らしい想像力の限界から描き出せない残念な思いだっただろう。

漢陽都城の風景を見下ろした記憶

そうやって生きてきて、ふと、いつか、連絡が途絶えた旧友、さらに遡って、小学校時代、かすかに覚えているイタズラばかりしていた仲間の顔を懐かしむように漢陽都城が懐かしくなった。

そうだ、そうやって懐かしいものは懐かしいままにしておこう。失ってしまったものは失ってしまったままにしておこう。すべてを手にすることはできなくても、決してすべてを失ってしまったことではないのだから。

漢陽都城が保っていたその数多くの調和。それだけでも、すでに過去と未来の間が、まさに、今、ここに存在する僕たちに力となっていることだと信じながら。

キム・ナムギル

「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城10人10色プロジェクト>の市民参加者、パク・ヨンジュさんが直接撮影した映像で『調和』をテーマに制作されました」

写真と映像は、こちらでご覧くださいませ。

「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城9話」
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キム・ナムギル、敦義門を通り過ぎ
隠された道を歩む

https://storyfunding.daum.net/episode/13519
by omasa-beu | 2016-10-23 16:50 | Gil-Story | Comments(6)

漢陽都城10人10色 エピソード05 日本語訳

第21回釜山国際映画祭は、今夜、閉幕したようですが、ナムギルさんが参加していないというだけで、興味は半減していますから、私自身はつくづく映画好きとは言えないと思います。今は、『パンドラ』や『ONE DAY(マイエンジェル)』が日本で公開されることを願うのみです。『殺人者の記憶法』はまだフィルムマーケットには出てなかったのでしょうか。

さて、遅くなりましたが、エピソード05の日本語訳です。単語そのものの意味が辞書やネットでもわからなかったりする箇所があったりして、ちょっと意訳になっている部分もありますが、ご了解くださいませ。今回の旅を読んでいると、ますます、時代劇の扮装をしたナムギルさんが漢陽都城を歩いている映像を観たくなります。

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©Gilstory


キム・ナムギル、自分探しに
出かける旅


2016.10.11 by キム・ナムギル

https://storyfunding.daum.net/episode/13235

旅の行路で表現すると、僕の今回の漢陽都城のスンソン(城めぐり)旅はどこまできたのか?

漢陽都城について、その多くの印象や風景をすべて収めようとすると、明らかに、全宇宙の銀河系を必要とするようだ。恵化門から興仁之門、再び、光熙門、南小門址、そして、崇礼門まで。もう終わりかと思ったのに、メビウスの帯のように続くスンソンが開いた道。再び、くねくねと曲がったところには、昭義門、敦義門。山の奥深くに引っ込んでいる彰義門から粛靖門まで、そのすべての道を休まずに一気に歩くとめまいが起こりそうだ。

そうやって、道のあちこちにそそり立ち、また、他の道を切り開いた四大門と四小門

一見すると、首都である「漢陽」とその他の地方を区別するための塀のようなものではないのか...
城門があるのは、人と物資が行き来してこそ、首都の機能を持つから当然のことであるし、大したことではないと見ることもできる。スンソン遊びに対する最初の印象もそれと同じだった。

最初は、ただ、城の外壁に沿って歩くことが遊びというのが、それも何百年以上の時間の間、流行したという話を聞いて不思議に思った。しかし、直接、少しずつ慣れ親しみながら漢陽都城を区間ごとに歩いてみると面白味があった。

パズルを合わせるように、その時その時、空いた空間を埋めていくような、そんな満足感がある。だから、その時代の人々には、これほどの旅先はなかっただろう。漢陽都城こそ、首都の中にある保養地ではなかろうか? 朝鮮時代には、これだけの旅行地はなかったと思う。

まず、その頃は漢陽の内と外を行き来することは容易ではなかっただろう。地方から漢陽に来ると、その旅は最初から険しかった。道は狭く曲がりくねり、舗装道路は存在しなかった。そのうえ、夏場の集中豪雨で、川に橋をかけてもしばしば流されてぬかるみになったりもした。

それのみか、すべての旅人は膨大な荷を荷駄ごとに包んで行き来しなければならなかっただろう。そのうえ、馬が食べる大豆と覆いをする毛布も別に手に入れるのは難しく、人や荷と共にくくりつけて通ったのだ。

それでも、旅人たちはいたのだ。

公的な業務を遂行したり親戚や友人に会ったり、科挙の試験を受けるために上京したり島流しで行かねばならなかったり、あるいは、道端で生業をたてる行商人たち..

そのあらゆる民たちの旅。その時代は、自分が住んでいた村を離れて旅に出ることにしたなら、すべての経費と物資を完璧に準備したとしても、最も大きな問題が一つ残っていた。正確な地理情報を探すことは難しく、道を探すことに非常な難航があったはずだ。もちろん、折り畳んで持ち歩ける折帖式地図はあったが、地図そのものがめずらしかった時代だったからだ。

その頃は、どうやって道を見つけたのだろうか?

せめて、路傍に立てられたチャンスン(注: 村の守護神)に隣村までの距離が刻み込まれ、道を見つける助けになったのだろうか。あるいは、旅人の間に回り回る、ある村から次の村までの距離が明示された路程表を参照したのだろうか。木版で印刷されたものもあったが、常にあちこちを流れ歩いて行き来するので道をよく知っている商人などに聞いてメモしておいた筆写本も多かったということだ。また、子午針と呼ばれる羅針盤を持ち歩いて方位を判別することもやったりしていたが、道を探すことは本当に難しかったと思う。

しかし、このようなものだけで、正確な距離と方向を見つけることは容易ではなかった。最良の方法は、通常、そこに住んでいる人々に道を訊ねることだろう。この方法は今も同じで、漢陽都城を歩く前に、地図で一通り距離を推測することはできるが、直接歩いて道の真ん中で聞いて回って道を見つけるまでは、その道を正確に知ることはできない。

何より、日が沈みはじめると、ひとまず向かっていた道を立ち止まらなければならない。夜になると街灯があるわけでもなく、すぐに漆黒の闇になる。そういえば、当時のように空の輝く星を見ることはできなくても、今は、漢陽都城の素敵な夜景を見られるということが慰めになる。

あたかも、風灯のように村の家ごとに発せられる明かりと路地ごとの街灯の明かり、そして、漢陽都城の城壁を月光のように照らす照明が一緒になってホタルが四方に飛び回るような夜景がつくられる。

しかし、残念ながら、朝鮮時代の夜は、そのようなロマンとはかけ離れていたようだ。夜には、道をそれ以上歩いて行くことは大変だっただろう。いったん日が暮れると、四方はトンネルの中のように漆黒のごとく、真っ暗になり、獣の襲撃と盗賊の群れの奇襲を受けることもあった。

とくに、仁王山周辺には虎が多かったが、旧韓末まで、漢陽都城の内と外は、そこがどこであれ、虎の天地だったいう。

さらに、その朝鮮を旅していたひとりの青い目の旅人も行く先々で虎に関するありとあらゆる伝説と事件、事故を聞いたという。ある時は、とある宿に泊まったが、主人がオンドルをとても熱くしているせいで、つい息が詰まって戸を開けたという。ところが、その後、主人が慌てて走ってきて戸を閉めるのだ。そうすると、虎が入ってきて、事を起こすというのだ。

仕方なく、このかわいそう旅客は40度を超える部屋の中でかろうじて門風紙に穴を開けて息をしながら、長い長い冬の夜を送らねばならなかった。それでも、その人は日が沈み星と入れ替わった夜、障子紙の穴の間から今よりもさらに明るく輝く星の夜の中で眠っただろう。そうやって、深い夜空に輝く星の一つ一つを数える楽しみ、そんな旅の味。

星の一つ一つを数える楽しさ、そんな旅の味

旅に一度出かけると、山を越え、川を渡り、時には命をかけ、空腹は常のこと、自然災害に匹敵する環境の変化に向かい合って戦わねばならなかった当時を想像してみると、スンソン(城めぐり)の壮挙は都城の人々に大きな慰めになったように思う。

原則的には、願いをかける福を実現するためなら、全区間を途中で休まずに振り返ってみなければならないが、それこそ、歩く人の気持ちではないのか? もちろん、山の奥深くに位置する区間ではかさこそという音だけでちょっと僕も後ろを向いて山の獣が襲ってくるのではないかと警戒したが、結局は、すべて漢陽都城の内と外だった。

そのようなスンソン遊びの淡白だけれども深く身に沁みる魅力は久しくその時代の語り手となったようだ。そういえば、本来の旅というものは、単に新しいものを見て楽しむ遊びだけではないのではないか。思ったよりは馴染みの場所からさほど離れた距離ではなくても、十分に長い長い旅を楽しむこともできるだろう。

その半日の内に世界旅行をするように、それぞれが他の村の風景と四季を一式込めた景色が与える、小さいながらも大きな旅からの満足感をそのまま秘めたまま家に帰る道。

半日の内に世界旅行をするように

その新しくも平凡な道を歩く旅行者の心の中に、作られては、再び、壊されることを繰り返す思考の行路。そうやって、再び、自分のもとに一歩ずつ近づいてくる道。

ようやく本当の旅の始まりになるようだ。この辺は漢陽都城のどのあたりか、この道は僕がいつも通るソウル市内のどこに通じ、はるか遠い昔には、この道はあの道にも通じていたんだね... うなずいて歩きながら、こちらあちらとのぞきこみながら... また、行ったり来たりする途中で遭遇する人々と交わす話の中で、国土は人が持っている思考の軌跡を一つずつ剥がしていく。

そうして、しきりに自分自身を知って行くのではないのか? 今まで歩んできた道を振り返ってみながら、その誰でもない、まさに自分自身をさらに切なくて貴く感じることができるようだ。

スンソン遊びのそんなしっかりした魅力

そうして、平凡であっても退屈な日常のなかで、少しは自由で、時には興に乗って肩を踊りでくねらせる楽しみをスンソン(城めぐり)は、その長い間、毎日のように都城の人々に贈り物としてくれた。だから、あれほど長い間、その数多くの人々の心の中に思い出として残っていたのではないだろうか。

親の親が、また、さらに、子の子が共に歩いたその古くからの旧道は、だから、今もなお、漢陽都城の城壁に沿って流れる流麗な風の道を維持しているのかも知れない。

だから本当の旅の始まりは、漢陽都城の真ん中でその場に立ち、目を閉じて、いかなる風も受けてみること、風の中に染みわたる自分の声に耳を傾けてみること、また、その隙間に口笛のように聞こえてくる誰かの声を静かに聞いてみることから始めてみよう。そんな、のんびりとしながらも懐かしい旅を。

キム・ナムギル

「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城10人10色プロジェクト>の市民参加者、チャン・ウニョンさんが直接撮影した映像で『私、そして、漢陽都城』をテーマに制作されました」

写真と映像は、こちらでご覧くださいませ。
https://storyfunding.daum.net/episode/13235

「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城8話」はこちらです。
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キム・ナムギル、きちんと隠れている
漢陽都城を探せ

https://storyfunding.daum.net/episode/13292
by omasa-beu | 2016-10-15 23:31 | Gil-Story | Comments(6)

漢陽都城10人10色 エピソード04 日本語訳

台風18号の思いがけない影響を受けた釜山国際映画祭ですが、昨日から場所を一部変更しながら、無事に開催されているようです。現地に入られたギル友さまたちからのレポを嬉しく聞いています。『殺人者の記憶法』でナムギルさんと共演されているソル・ギョングさんは開幕式の司会を務めるため、レッドカーペットに登場。今回は、ソル・ギョングさん出演の他の映画が上映されることになっているようですが、来年は、ぜひ、『殺人者の記憶法』でご両人の姿を拝見したいものです。

後になりましたが、この台風で亡くなられた方方に慎んでお悔やみ申し上げます。また、被害に遭われたみなさまのご心労をお察しいたします。心からお見舞い申し上げます。

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©Gilstory

キム・ナムギル、いま、あなたが
歩いている道


2016.10.04 by キム・ナムギル

https://storyfunding.daum.net/episode/12792

途切れては続き、ある瞬間、消えては、再び現れる漢陽都城の道を歩いていると、この道は僕たちの人生と本当によく似ているという気にさせられる。

その道を歩いていると、喜怒哀楽の感情が心の中に入ってきたり、出て行ったりを繰り返す。そうやって、黙って城壁を見ていると、そんな不思議な気分にとらわれてしまう。

いま歩くこの道は、どんな道なのか

名前も知らいない誰かが、今日も昨日も、また、その次の日も歩いて行った道。そんな道の上に立っていると、時には、遠い過去の誰かともつながってさえいるように霞んでいる。

その人の、その一日はどうだったか? 普段と変わりなくて、退屈でも平凡な日だったのか、それとも、何かがあって心が入り乱れていたのか、ある日は綿毛のように軽やかな足取りでも、ある日は重たく、陰気な足音を立てたいような、そんな思い。そんな風に、その時間を想像してみる。

スンソン(城めぐり)遊びをするように、最初から最後まで続く、そんな物語。その中に今も残っている多彩な瞬間、記憶。もう少しだけゆっくりと、もっと近くでのぞいてみると、そこに残る記憶の残響が話しかけてくる。もう少しだけ、のろのろと動いてみると、誰かがすぐそばで怒鳴りつけるように。

今日はスンソン(城めぐり)をしよう

さあ、そのままで、ちょっと出てきなよ

今日一日は他のことは後回しにして、くまなく見物しようと。

朝鮮八道が花の色に染まり、ファジョン(花煎)遊びをしていた頃、春の遊びを兼ねて、書堂から師匠を先に立て、子どもたちが列をなして後を追っかけてきたスンソン道(城めぐりの道)。

注: ファジョン遊びについては、こちらでご覧になれます。
http://www.pusannavi.com/special/5034158

約束なんてのはなさそうな科挙及第の願いを込めたあどけない顔の儒者たちと、今回の道も無事に往来することを願う行商人、豊作を祈願する農夫たち... そのすべての一歩、一歩から続いていた、限りなく慎重ながらも、浮き立った歩みで踏みならしたスンソン道。

そのときは、ただ城郭が開いた道に沿って行っても、道を失うことはなかったのだ。しかし、今は、漢陽都城の切断された城郭と残りの痕跡を探して歩かなければならならない。まかり間違えば、都心の真ん中で城郭の道に迷ってしまいがちなのだ。

旧道は途絶えて久しい

そうだ。すでにその時代の旧道は、途絶えて久しい。水路の流れのように途絶えることもなく果てしなく続いていたその流麗な道は消え失せた。それなら、いつかは完全な漢陽都城に僕たちは再会することができるのか。

もし漢陽都城の完全な姿というのが、原形が保存されていた城郭都市そのものなら、僕たちはすでに失ってしまったし、再び取り戻すことはできない。今になって、道路が開通して他の建物が入った場所に城壁を無条件で再び築くことはできないのではないか。

仮に多くの時間をかけて再び築いても、果たして、その道は本来の道と言えるだろうか? それなら、漢陽都城がそのまま保存されなかったことについて、僕たちは何を惜しむべきなのか。

今も森の奥深くに位置し、昔の姿が比較的完全に残った区間がある。しかし、互いにつながってはいない。城門と城門の間は断絶されたまま城門の両側の城壁は当然のことながら途切れている。だから、なんとなく通り過ぎていた都心の真ん中に立っている昔の城門が非常に突拍子なく見えたりもする。

たいてい、城門というのも知らないまま通り過ぎてしまいがちだ。実際、漢陽都城の探訪で行き来しても、どこからどこまでが城壁なのか、混乱する場合が多い。そのおかげで城壁が続いていた本来の姿を想像する楽しみはあるけれども、近代的な建物や道路に押しのけられ、放置されたように残っている城壁を見ると、それさえもよかったと思うべきか、あまりにも遅れていると思うべきか。

あまりにも遅れているのではないか

もうずいぶん前から漢陽都城は取り壊されてきた。電車の路線が敷かれながら、興仁之門、敦義門、崇礼門周辺の漢陽都城が壊され始めたし、日帝強占期の時代、都市計画を名目に城郭のあちこちが取り壊された。以降では、急激な都市化の進行で、城郭はさらに建物の塀に使用されたり、破損された場合もあった。

そのすべての喜怒哀楽を抱いてきた漢陽都城の道はそれほど長い間に消えてきた。果たして、いつまで、この道を歩きながら記憶できるかという不安感は、スンソン(城めぐりの道)を歩きながら得る喜び同様に大きくて深い。

しかし、一度その道を歩くと、すでに情が深まって、再び訪ねないわけにはいかない道、そのスンソンが開いた道に沿って歩いていると、日常の中に息をひそめていた感情が浮かびあがる瞬間がある。

ここから、さらに、どれほど、漢陽都城が続くのか、また、途切れるかを気遣ったり、また、失望したりもしたとき、今一度、忘れずにその場を守っている城門の姿に全身が自由になるようにすっきりした瞬間、いつの間にか、見えない道を探して心の窓にその道を描くこのスンソン遊びを楽しむようになる瞬間、漢陽都城はもう、一つの心の中に復元され、ありありと生きて息をし始める。

その行路の中に込められたすべての喜怒哀楽

結局、まだ僕たちがこの道を歩いているというのは、この道を歩くだろうというのは、そして、今、漢陽都城を眺め始めているというのは、すでに漢陽都城の完全な復元が開始されたことに相違ないのだ。

ただ、今は、消え去った城壁の痕跡と消えたすべての旧道をどのように歩いて、どんな物語を聞かせるのかは、僕たち、それぞれの役割である。誰かが決めてくれた行路通りに行かずに、自分で探し、問いかけ、ともに話合いながら、姿を消した漢陽都城を探してくれるように願う。

漢陽都城のどんな風景の前で立ち止まり、何を感じて考えたのか、再び、今を僕たち一緒に語りたい。「漢陽都城と変わらず共にすることのできる今」をである。

キム・ナムギル

「下に紹介する映像は、<ギルストーリー: ソウル漢陽都城10人10色プロジェクト>の市民参加者、キム・ヨンジュンさんが直接撮影した映像で『漢陽都城の喜怒哀楽』をテーマに制作されました」

写真と映像は、こちらでご覧くださいませ。
https://storyfunding.daum.net/episode/12792

「ぼくたちが作る文化遺産、漢陽都城7話」は↓です。

キム・ナムギル、南山道に沿って、崇礼門までスンソン道
by omasa-beu | 2016-10-07 15:11 | Gil-Story | Comments(8)
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♪ ♪ Kim Nam Gil Forever ♪ ♪  韓国の俳優キム・ナムギルさんが好きです☆映画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』7/29公開


by omasa-beu
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