おまさぼう春夏秋冬

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司馬遼太郎「韓(から)のくに紀行」(朝日文庫)

f0020564_1933385.jpg韓国の時代劇「ソドンヨ」(薯童謡)を見て以来、百済という響きに反応してしまう。もちろん、ドラマは伝説に基づくフィクションだけれど、当時、百済と日本(倭と呼ばれていた)との間に友好関係があった様子はうかがわれる。

司馬さんは1971年5月、釜山から入り、新羅、百済へと旅をする。とはいえ、現在、新羅や百済という地名があるわけではない。百済は西暦660年に滅亡したとされているし、新羅も935年に歴史から姿を消している。(地図はWikipediaより)
新羅が観光都市・慶州として栄えているのに対し、かつて百済王国の都であった扶余は単なる一地方都市として残っているに過ぎなかった。

司馬さんが扶余で出会った郷土史家の李先生は嘆く。
「なにもない。何も残っていない。出てくるのは瓦のカケラだけです。なにもかも唐と新羅の連合軍が焼きはらい、砕きつくしたのです。出土品だってそうです。慶州の百文の一です。・・・・・百済は悲しい」
「ソドンヨ」の主人公、武王の片鱗を求めて本書を読んできた私も悲しいが、1300年も前の戦いを昨日のことのように語る李先生がとても愛おしく感じられる。

百済からは離れるが、興味深いエピソードが紹介されている。
第二次世界大戦時、ひとりの軍医が司馬さんの友人にうちあけたという。
「たれにも話したことがないが、自分はじつは朝鮮人である、、、しかしながら、自分は豊臣時代の日本人である」
つまり、豊臣秀吉の朝鮮の陣で降伏し、朝鮮に留まり帰化した日本人の子孫というわけである。その子孫の村を司馬さんは訪ねあてる。村の長老が言う。
「こっちからも日本(むこう)へ行っているだろう。日本からもこっちへ来ている。べつに興味を持つべきではない」

百済が滅んだときには、その亡命者が大量に日本に来、かれらの力によって、飛鳥文化ができあがってゆく、と司馬さんは書いている。

2002年2月にTBSで放映された日韓共同制作ドラマ「friends」で私は初めて韓国という国に興味をもった。スカパーに加入し、韓国ドラマを見始めた私が感じたのは言いようのないなつかしさだった。ドラマに見る韓国人の一般的な性情は明らかに日本人とは異なるし、反日の台詞に時にうんざりさせられながらも漠として感じていた「なつかしさ」の源を本書に垣間見た思いがする。2000年の時を縦横に行き来しながら語られる韓のくに紀行。まさに浪漫である。

by omasa-beu | 2006-12-03 19:07 | 韓国ドラマ/映画・韓国語 | Comments(2)
Commented by 雪虫 at 2006-12-04 09:18 x
もう20年近く前ですが、扶余に行きました・・・華やかさはないけど、残された石像の素朴な感じや落花岩からの眺めなど、おおらかな古都の空気が感じられて印象深い街でした。韓国に行かれる時は、ぜひ行ってみてください、おすすめです。
Commented by おまさぼう at 2006-12-04 17:57 x
雪虫さんは20年前にすでに行かれていたのですか! 日本人はめずらしがられたのでは? 最近はソドンヨのセットがテーマパークになっているようですね。いつか行けるかな。
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♪ ♪ Kim Nam Gil Forever ♪ ♪  韓国の俳優キム・ナムギルさんが好きです☆


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