“たかが頭痛、されど頭痛”
2006年 06月 22日
「たかが頭痛、されど頭痛」とは東京女子医大の清水俊彦先生(脳神経センター・頭痛外来講師)が「文藝春秋2006年5月臨時増刊号特別版」に寄せられた文章のタイトルである。私は「全国慢性頭痛友の会」の<友の会だより>に転載されたものを読ませていただいた。慢性頭痛は従来生命に支障はないとされてきたけれど、決して軽視してはいけないという研究が欧米では報告されているということだ。
「片頭痛の患者さんは将来、脳梗塞に移行しやすいことがわかってきました。片頭痛は頭痛発作のたびに脳の血管周囲に神経の炎症が引き起こされるため、発作のたびに脳の血管に微細な損傷が加わります。したがって、生涯を通しての発作回数の多い人ほど脳の血管損傷が激しく、放置すると脳梗塞に陥りやすいとされています」と清水先生は書いている。
この炎症を抑えるための特効薬(トリプタン製剤)が入手できるようになっているのに、発売から6年経った今でも、それほど普及していないという。一つには、緊張型頭痛と混同され、普通の鎮痛薬を処方されていること。二つには、「我慢を美徳とする国民性」のため、病院に行かず痛みを我慢する傾向があること。
私の場合、トリプタン製剤のなかで「イミグラン」と呼ばれる薬の錠剤と点鼻薬の両方を常備しており、その折の症状に応じて使い分けている。医師の処方が要るが、これのお陰で生活の生産性がどれだけ好転したかわからない。
片頭痛患者のなかには、60歳以上になると発作がなくなるひともあるようだ。以前、元首相夫人の三木睦子さんが「片頭痛でガンガンする頭を抱えてお舅さんの介護をしていたのに三木首相が亡くなったあとは起こらなくなった」という意味の文章を新聞のコラムに書いていた。作家の五木寛之さんも片頭痛に苦しまれた時期があったようだ。素人考えでは、歳を重ねると共に血管も歳をとり、発作を起こす能力(?)がなくなるということかなと推測するが、片頭痛が起こらなくなれば老化を示し、このまま発作が起これば辛さは生涯持続するわけで、どっちにころんでも、寂しいような、悲しいような、複雑な心境にさせられる。