ふたりの父 一 「栃木リンチ殺人事件」と「池袋駅ホーム殺人事件」
2006年 04月 23日
先日触れた「週刊文春」(4月27日号)の須藤さん(栃木)と小林さん(池袋)の対談を読み、「父」としての闘いの相手が直接の「敵」だけではなかったことを知るとともに、同時にそれは自分自身にも問いかけられる課題となった。
理容店を営んでいる須藤さんは、提訴をするや、周囲の人間やお客から『お前たち、なにやってんだ。警察にさからってどうなるんだ』とか『お上には逆らわないほうがいいんじゃないの」と言われたという。須藤さんは、これを「相手はアドバイスと思っているんでしょうが、私たちにとって、これは圧力なんです」と語っている。一方、「、、、社会にとって必要な活動であっても、問題が大きくなればとにかく会社という組織はそれを止める方向に動く」、そして、殺された息子さん、悟くんの犯人の目撃情報を得るため、10年間にわたり、計20万枚以上のビラを駅や街頭で配ってきたなかで、「“井桁のバッジ(住友銀行の社章)”をつけた人のほとんどがビラを受け取ってくれなかった。もともとうちの会社は上意下達の極みのようなところがあって、それは企業としては美質でも、個人の痛みにはあまり反応しない。(中略)やっぱりそうか、人生ってなんだろう、会社ってなんだろうとは思いました」と一応銀行本体には定年まで留まっていた小林さんは言う。
第三者である私だから、こうした事件には怒りをそのままぶつけられるが、その周りにいるひとたちは力になるどころか、足かせにもなるという事実に、村社会である日本の縮図を見る思いがする。と同時に、自分がその周囲の人間だったらどういう態度を取れたか、やはり、無関心を装ったのか、アドバイスという名の圧力になったのか、私には答えられる自信がない。
何度もこのブログに書いているが、私はちょうど4年前の連休明けにリストラの通告を受けた。再就職のために書いた50通以上の履歴書がむなしく返却されてきた頃に快く私を引き受けたくれたアルバイト先を2年間の契約満了とともに、昨秋、退職した。いようと思えばいられた職場であったが、私なりの考えがあり、辞める決心をしたとき、なにも言わなかった妹や、「考え直したほうがいいとは思うけど、でも、決めたのなら、なんとかなるよ」と後押ししてくれる友達の言葉がどんなに有難かったことか。リストラなんか、息子さんの命を理不尽な形で奪われたお二人にくらべればなんてことはない出来事であるが、そんなささいなことでも、周囲の言葉には胸を揺さぶられるものがあった。
話の筋ではないが、小林さんがこのような会社であっても「うちの会社」と呼んでられることに、私はまた別のショックを受けた。私など、リストラになったとたん、「うちの会社」という呼び方は出来なくなった。というより、したくなかったし、意識的にできない。なにかそこに別の哀しみを感じてしまう。
他にもここには書ききれないお二人の社会や組織との闘い、そして、息子さんへの想いが語られている。是非、店頭に並んでいる間に読んでみてください。
現代社会にも、遠山の金さんや黄門さんがいてくれたらどんなに胸がスーッとすることでしょうね。あえて仕掛人とか仕置人とはいいませんが。
当人は良かれと思って口にした言葉でも、受け取る側にとっては傷口をえぐられるものになってしまう。そんな事は往々にして在ると思います。自分は学生時代に父を病で亡くしたのですが、幸いにも廻りの人間に恵まれていた為、それ程嫌な思いをする事は在りませんでした。でも、少なからずとはいえ、心無い言葉を投げ付けられた事も在りました。今考えてみると、上記した様に言った当人はそれ程悪気が無かったのかもしれませんが、須藤氏の仰る「アドバイスが圧力になる。」というのは理解出来ます。結局は当事者じゃないと、本当の気持ちは判らないんですよね。それは仕方ない事なんですけど・・・。
良く問題が起きると、「氷山の一角」という表現が使われますが、事を人間に置き換えても同じ事が言えますね。「見えている所だけが、そいつの全てじゃないんだよ。」というのはその通りだと思います。でも、見えていない部分を見ようとするのは、なかなか難しいのも事実です^^;。